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夏あざみの弔い  #詩のようなもの


 
         Ⅰ
 
ながい道脇は たけだけしい緑が擾乱していた

やっとたどりついたのは リヨンの市場いちばで 城壁のはずれにあった

いやになるほど混沌で 騒がしく 卑猥な陽気がつまっている

泥と牛馬の糞尿は混じり合い 幼子たちはま転びる

   「ほれほれ、まるまる肥った元気なアヒルだ。
   一匹たったのドゥニエ硬貨2枚。小麦粉ならこ
   の麻袋一杯にしとくよ。安いよ、買っとくれ」
すがめの老いた農婦は 袖口と汚れたペチコートに とぎすました青い匕首あいくちを隠している

アヒル二羽の片脚どうしをくくりつけ 二組を棒に渡している

売物は たったこれだけ

売り文句をまくしてて 声がかれている

アヒルたちは怒りたち 片足とクチバシで諍っていた

となりでは子山羊の肉を 売っていて買い手が群がっていた
 
空では流れ崩れた ひこうき雲が

気の早い秋雲と まじり合う(いや乱交している)

 
         Ⅱ

市場の向こう 薄むらさきの山なみが 遠くとおく きららかに横たわる

忘れ去られた わら枕のように
 
山なみのかなたに パラノイアの積乱雲がわきたっている

あの雲のふもとに ここからはぜったい見えない海と 灼けた港がある はず

貿易風をはらんだ帆船ふねが 駆けている はず
(きっときっと そうにちがいない)
 

そこでは

とつつ国の 絹、香料、金銀宝石、象牙どもがあふれ 媚薬や酒が積み上げられている

人語を話す奇妙な鳥や 首の長い野獣たちが行き交う

リヨンにはない 驚異と香ばしい音楽しらべと 乳香の余韻が 円舞を踊り続けている はず

それにわたしと 同じ肌と黒髪の同胞はらからたちが

彼らは 知っているはず
(きっときっと 間違いない)

彼らに聴きに行こう
 

         Ⅲ
 
同胞はらからたちに尋ねるのだ あの乙女の行くすえを 果てた場所を

「暑い暑いと、家でうだっています」 文末のあいさつは なかった

乙女の返信は短く こんな書き出しではじまるが 戦利品のまだ乾かぬ髑髏しゃれこうべに 似て冷渋だった

聞きなれぬ一言に 誤用なのか方言なのか  わざと戸惑ってみて その続きを読まない

すでに重金属製の蝉しぐれは 薩摩切子さつまきりこの破片に飛散していた
 

この出来事も 暑いひるのことだったのだろう だが

いくども夏は 馬賊のように駆けぬけ

事象の地平面の さらにその先に至っただろう

その先には もう行けない だから

後ろ手で戸をあけても 星くずに照らされた路など

決して 見つからないだろう
 

これからも それからも

小さなティー・スプーンで 魂と人生とを すくい上げながら

その重さ(あるいは軽さ)を 考えはかろう

などという健気さなど わたしには 決してない
 
やまなみの向こう 積乱雲の下へ 身を起こし

さあ もう一度旅立つのだ 急げ!
 

       Ⅳ
 
こっぱ役人が 大声を上げ走りまわり

鐘楼の鐘が雄叫びを続け 老いた農婦は 罰あたりな言葉を口にする

売れ残った(全部だ)アヒルを 棒きれに くくりつけた

帰るのは デュポン・サークルの西まで 道は遠い
 

やっとランファン・プラザを過ぎる野辺に

墓地の外に 十字架のない 乾くこともない墓が

むかしから隠れている

教会の読師様が 教えてくれた
   強盗騎士の墓碑 だと
   騎士の名は 奪われた(あるいは忘れられた) のだと
   騎士は 沖をかける帆の色を 白と黒とを きき間違えて
   死に果てた とも

読師様は墓表の ラテン語を訳してくれた 残っているのは この箇所だけ
   『御身ノ為ニ 吾ハ死ス 御身ノ為ニ 吾ハ生ク』
 
老いた農婦は 枯れゆく夏あざみの一輪を 騎士に手向けた

……切り取った 家禽の生首 を添えて……

褪せた あざみの色を おぎなうために
 

彼女の

疫病草りんどうと 忍草しのぶぐさと 背高泡立草せいたかあわだちそう

たおやかに憩う あばら屋

までの道のりは 暗くて遠い

だが空は まだ水色だ