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「争いは同じレベルでしか起こらない」は真理である。

友人との話のうちに、もっさり喋る奴がくぐもって喋る奴を馬鹿にして毛嫌いしていたとの話題で盛り上がった。
僕らはハキハキ、ぺちゃくちゃ喋るタイプであるからして、僕らにとっては彼らの紛争がインスタントな喜劇に思えて面白かったのである。

「まさにどんぐりの背比べ」だと友人が言ったので「争いは同じレベルでしか起こらない」と返したところ、不意に脳内の皮肉屋の自分が『お前はいつも愚かな人や不道徳な人に憤慨して争っているけどな』と差し込んできた。
確かに一理ある理論に思えたのでしばし自問自答の渦に巻き込まれてしまう。

つまりは僕も愚かで不道徳なのだろうか、、、
争いが同じレベルでしか起きないのは真理であるからしてその様に結論を出せてしまうのは確かだ、、、
だが事実として僕は賢いし道徳的だ、、、
現状では矛盾が生じてしまっている、、、
真理と事実は変わることがないのでこの2つを同時に成り立たせる理論があるはず、、、

そこでふと疑問に思う。
賢く道徳的な僕が憤慨していたとして、愚かで不道徳な相手と争っていることになるのだろうか。
いや、そうではないだろう。
相手が反抗してこようとも完璧にこちらが正しいのであれば、それは争いになってはいないではないか。
であれば真理も事実もどちらも矛盾なく成立する。

つまり、僕が愚かな人や不道徳な人に対して批判を行うのは圧倒的な上位者としての断罪であるのだ。
自らの過ちを理解せぬ人間が多くて嫌に疲れてしまっていた。
正論で殴りつけるのは大人気ないとの反証を大人しく聞き入れ、相手に合わせて論じ合うようにしていたせいで自分でさえも断罪を争いと誤認してしまっていた。

全く、大人気を求めてくる癖に対等な姿勢で対峙してくるのは甚だおかしな話だ。
大人気は有料オプションなのである。

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