裏金解散選挙
裏金解散選挙と地方創生選挙
今回の解散総選挙を、何と呼ぼうか。
やはり、「裏金解散」、この一言に尽きるだろう。
ただし、その理由は巷間で語られているようなこととは少し違う。
まず、この裏金解散政局の本軸は石破茂自民党総裁にある。こんな早期のタイミングでの解散はほとんど誰しもが予想することができなかった。今、政局の筋書きを立て、先々を読んで行動することができているのは石破茂、その人だけである。
元々あまり党内で人望があるタイプの政治家ではなかったこともあり、石破政権短命説が言われてきたが、いやはやどうであろうか? これはなかなかの政局強者だと私は評価を変えることにした。
選挙報道では野党があまりといえば裏金問題ばかりを主張して、とうとうマスコミの中でも何かもっと他に言うべき政策を議論しないと、と批判している向きもあるが、そもそも、清話会(旧安部派)つぶしをもくろんだ石破氏にしてみれば思惑通りと言っていいだろう。安倍政権ではすっかり干されてしまっていたのだから。
石破氏にとって悩みの種は、清和会つぶしはしたいが、それが一歩間違えれば自民党つぶしになりかねないということだ。だから極めて早い段階から公明党へ挨拶を行っていた。公明党も高齢化でかつてほどの集票力はないとよく言われるが、それでも自民党は公明党の選挙協力により各選挙区で1万票から2万5000票ぐらいの上乗せをもらっているはずだ。
そして、この石破氏の行動からはっきり言えることは、たとえ自民党が少数与党になったとしても、維新の会との連立はないということだ。維新の会は安倍晋三の別動隊とさえ言われていたことがあり、だいたい清和会の議員は公明党との連立を好んではいないものが多い。これも清和会つぶしの布石の一つと言ってもいいだろう。
少数与党になっても石破総裁は困らない
確かに総選挙の結果、少数与党となれば石破総理が掲げていた自公で過半数という勝敗ラインを切ったことになるので、総理総裁の責任問題が出てくるだろう。しかし、また総裁選をやることについては、多分、一般党員の支持をさして得ることはないだろう。そもそもの敗因は、裏金問題である。かつてロッキード事件に際し、疑惑解明に向かった三木武夫総理に、所謂三木降ろしが行われたが、あれは派閥政治・全盛時代の話である。
何よりも代議士たちからもう一度、総裁選をやるべしとの声は高まらないだろう。9人も候補者を立てて戦ったのだ。あれで結構みんな疲れたはずだ。仮にやったとすればもっと候補者の数が絞られると思うが、少数与党となった以上、新しい総理総裁が選ばれたとしても、次の解散は早いことが予想される。誰しもそれが頭をよぎるはずだ。
つまり、どの顔なら選挙で勝てるのかという話もさることながら、少数与党の代表という難局を過ごしながらなおかつ解散総選挙で党の勢力を回復させるという重責を担わなければならない。しかも、もしかしたらさらに負けてしまうかもしれない。
ありきたりの話だがこんな大変な舞台は石破茂氏に看板を背負ってもらうしかないというところに落ち着くことだろう。少数与党の国会政局、少数与党での解散総選挙、この辺の一通りの難局を経てから総裁選でいいとこどりをするというのが自民党政治の定石である。
野党の本音
野党はどうして統一候補を作ることができなかったのか?
どうして統一戦線をもっと効果的につくることが出来なかったのか?
その理由はそれほど難しいものではない。
第一に石破氏によるかくも早期の抜き打ち解散を全く予想できなかったということである。自民党内においてさえ、本当に立候補手続き上のぎりぎりの早期解散であった。
石破氏はこうすることで野党の統一候補をつくらせるわずかな隙間さえ切り捨てたのだ。大したものだと思う。野党も与党も、タイミング的に完全に虚を突かれた。これこそ、政治リーダーの持つべき資質・条件だ。
しかし、野党が短期間では選挙協力の調整の時間を取れなかったというには、実は、もう一つ裏の理由がある。
連立病だ。野党には諸事情があり、時間があったとしても全国的で本格的な候補者調整などなかなかできそうもないのだ。どんなに短くても選挙までに3ヶ月は欲しいだろうし、本当は半年ぐらいかかっても調整などできるかどうか怪しいものだ。要するに野党が過半数になれるような体制で総選挙に臨むことができる見込みなど殆どないのだ。
生地、統一候補などあちこち立てて戦ってしまったら、選挙後の与野党連立で難航してしまう。自民党が過半数割れをしたとしても、大臣ポストの連立野党への大盤振る舞いなどするわけがない。連立をしたとしてもなるべく小さな野党を相手にということになるに決まってる。はっきり言えば国民民主以外に可能性はないのだ。もっとも、かつて与党として生き残るためならば、社会党と連立したこともあったので、政界は一寸先は闇である。
いずれにせよ、この選挙で野党が大連立などできるわけがないのだ。
石破少数与党政権
野党が束になってかかったとしても、政局操作では石破氏にかなうまい。かつて政治改革を掲げついには自民党から出て、そしてまた自民党に復党し、5度目の総裁選でついに総理総裁の地位を射抜いた石橋茂は政局の鬼だ。
石破政権が少数与党となった場合、おそらく連立か、閣外協力する相手は国民民主党だろう。これからは自公国となるのだろうか。案外、長く続く政権になるかもしれない。
そして、そのような状態を経て、場合によっては、国会政局の難局を切り抜けたあと、再びまた解散総選挙を行うだろう。財界の支援が少ない野党はこれで選挙資金も尽きて、苦しい戦いになるだろう。大義名分は、北朝鮮や台湾の向こうから、あるいは中東とか、ウクライナから飛んでくるかもしれない。石破氏、念願の地方創生や政治改革のさらなる徹底などを看板にして、地方創生の活動で優位なものを新たな候補者に指名することで自民党は大きな勝利を得ることになるだろう。
今回の選挙戦でもうひとつ思ったことは、日本の野党が非常に都市型の政党になってしまっている点だ。国民経済を語っている政党は多いが、地方経済を語っている政党や地方創生を語っている政党が野党には非常に少ない。ナショナル・レベルの統計の国際比較ばかりやっているような印象がある。地方創生や、地域課題追求は、実は野党のアキレス腱なのではないか。保守系野党の殆どは都市化による格差社会が背景となって形成された第二保守の政党が殆どだ。
里山里海、中山間地域にも全国的な組織基盤を持っている野党は共産党くらいのものだろう。れいわ新選組が、ほとんど共産党の妨害をしているのではないかというくらい似た政策を掲げているが令和は典型的な都市型政党である。
最後は国民の覚悟の問題
平成になってから多くの基本法が制定された。霞ヶ関は新しい日本に必要なための様々な案を基本法としてほぼ出し尽くしてきた観がある。むしろ政治の側がいつまでも古い昭和型の成長観に凝り固まってきた。長らく地方創生を考究し続けてきた政治家・石破茂は、新しい自民党の姿、新しい、というよりは「本来の日本」の成長の姿を国民に示すことになるだろう。
実は日本国民の方も、あの昭和の時代のバラ色のような高度成長モデルの幻想に、無意識のうちにかなりしがみついているのである。確かにアベノミクスとか、東京オリンピックとか、大阪万博などを多くの国民は古い昭和型の成長モデルと批判してきた。昭和型は何かと批判のやり玉なのだが、その実、「一極集中型」以外の成長モデルなんか、全然、思いつきもしないのである。
なによりも、ライフスタイルそのものが、一極集中型になっていて、大都市圏・首都圏の大学進学から首都圏で就職、そして、転職を首都圏で繰り返すという生き方を、実質、選んでいるのである。選んだわけでもないが、殆どの人がそういうことになっている。つまり、自分の生き方は変えずに、国だけ変えようとしているのである。
「選んだわけでもないが、殆どの人がそういうことになっている」ということは、これはシステム・エラーであると同時に、パーソナル・エラーでもある。いつまでも国のせいにばかりしていても、若い世代に高いツケが残るだけだ。大都市圏・首都圏という「一極」にいて、一極集中を批判してきたのがこれまでの日本人だ。当事者意識の不在なんだろう。だから賃金が高い、高いと言って軽々と海外にも働きに行き、海外移住をしたり、そして、今度はやっぱり海外もなかなか外国人には厳しいということで日本に帰ってきている向きも少なからずいるようだ。
そんなご都合主義の有権者、よその国のタイパ ・コスパにただ乗りで何とかしようとしかけていた日本人に、さぁ腹をくくって、覚悟を決めて、新しい、いや「本来の日本」について地道に考えて取り組んでみよう、ライフスタイルを変えてみようと、石破さんはゆっくりと、不器用に語りかけてくるんだと思う。そのことに私はとても期待したい。