なにものにも
昔、学校の先生は先生といういきものだと思ってた。
お母さんはお母さんといういきもので、警察官は警察官といういきもの。
大人になったら選んだ役割になれて、中身もそれになる。
子どもは成長すれば誰しも大人になり、大人になれば職業を持ち、その職業にふさわしい人物になれるんだとずっとずっとそう思ってた。
そしていま私は44になり、見た目はすっかりまあアレだけれども
中身はおよそ14歳くらいから変わっていない。自慢できることではないにせよ。
胸に付けた名札は「学生」から「会社員」となり「妻」となり「妊婦」となり、そして「母」となった。
こないだまで違う名前で呼ばれていたと思えば、環境や立場が変わるだけで私自身は何ひとつ変わっていやしないのに
名札だけが次々と付け替えられ
あるいはスーパーのお惣菜の値引きシールやバーコードのように、次々にラベルがペタリとからだに貼られてゆく。
大人になればラベルの名称を無意識に演じてしまうのか、それとも自然とそれになってゆくのか、私は未だにわかっていない。
さほど遠くない未来に「祖母」という名札が用意されていたりいなかったり。
私はなにものにもなれるし、きっとなにものにもなれない。
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