やらなかったことの正当防衛は何の意味を持たない
私はずるい。
自分が病気をした時や災害が起こった時だけ
毎日の生活が当たり前じゃないんだってハッとして
そんな時だけ改めて感謝、とかずるい。
亡くなった人を思い出し、もっとありがとうを伝えておけばよかったと
今だにめそめそしてるのは本当にずるい。
やらなかったことの正当防衛は何の意味を持たない
と思います。
娘たちは二人とも就学児になり、手のかかり具合だけでいえば数年前に比べ本当に楽になった。
けど、手は離しても目を離してはいけない時期だと思うので
そこはまだ気が抜けません。
毎日自分の時間が足りない、早く大きくなってほしいと思うけれど
何年か後にはいやでも娘たちの方から離れていきます。
数年後に娘たちと過ごす時間をどんなに悔やんだって、いまは絶対に戻ってこないんだから。
さまざまな物事に絶対はないと思っているけれど、時間だけは絶対。そして平等。潔い。
私、娘たちがまだ赤ちゃんの頃
先輩お母さんたちから「今が一番いいね」「今の時期を大事にね」のような意味合いのことをたまに言われていました。
その頃は、既に子育てを終わられたお母さん方のほうがよっぽどうらやましいっす、と思っていました が
いまならわかります。
別れや終わりは、私たちにはどうしようもない。
そこは誰も変えられないんだから、そこまでの道を大事にするしかないんだ。
明日私に大きな病気が発覚したとしたら。
私は絶対に
「ああ、もっと医療費を貯めておけばよかった」
ではなく
「もっと家族との時間を作っておけばよかった」
「もっと家族と旅行に行けばよかった」
「もっと友達に会いに行けばよかった」
「もっと」
「もっと」
って思うでしょう。
いつもと同じ日常があること、
メンドクセーなって言いながらもパソコンに向かえること、
10歳の娘と同等にムキになって喧嘩できる元気があること(完全に大人気ない)
友人に愚痴を言える余裕があること
また太っちゃったって言いながらアイス食べれること
すぐ大事なこと忘れる私はちょっとずるいけれど、それでも毎日がありがとうでいっぱいだ。
「もっと〇〇しておけばよかった」の○○は、今やろう。
8月6日の朝 自宅にて
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