私はさよならを選んだ #やさしさにふれて
私の人生を変えたひとつの出来事が、約3年付き合った彼氏と別れたことだ。同棲していた。結婚しようと話していた。両親への挨拶も済ませていた。
今思えば、私は勘違いしていたのだ。
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彼は私を愛していた。私に対していつも『やさしく』していた。けれどそれは、私にとっての愛ややさしさとは、異なるものだった。
彼にとっての愛は、私の価値感を彼のものに合わせることだった。「俺は正しい」という正義のもと、彼は私を導きたがった。
彼にとってのやさしさは、たとえば美味しいごはんを私に食べさせることだった。それが何時であっても私がダイエット中であっても私のお腹が空いていなくても。
別れる決定打も、やさしさの食い違いだった。私の母が抗がん剤治療を拒否した、その決定を彼は否定した。
母の人生だから母の決定に委ねると、そう言った私に彼は断言した。
「お母さんの気持ちとか知らん。俺が治療受けてほしいと思ったら受けさせる」
彼なりに考えもあったのだろう。けれどこのとき彼は、致命的に言葉を間違えたのだ。
これから先、彼にとっての大事な人が人生の岐路を迎えたとき、彼は彼にとって最善の道を行かせようとするのだろう。それが本人にとっての最善でなくとも、彼にとって最善だと思えるものであればそれを本人にとっての最善であると信じるのだろう。彼はそれをやさしさだと信じている。
私には無理だ、と悟った。そのやさしさを享受できる人もいるのだろう。けれどそれは私ではない。私は彼にとって「大事な人」になれない、なりたくない。
私にとってのやさしさは、結果がどうなろうと本人に決定を委ねることだ。人生は本人のものであり私のものではない、という信念がある。
どちらのやさしさが優れているかという話ではない。正解かという話でもない。
その食い違いは決定的だという話だ。やさしさは価値観や信念に基づく。それが異なる人と、共に人生を歩めるだろうか。
私は逃げ出した。
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今思えば、私は勘違いしていた。やさしさの違いも信念の違いも、あらゆる場面で顔を出していたのに、決定的になるまで見えない振りをしていた。受け入れることをやさしさだと思っていた。
もっと早く気付いていれば事態は変わっただろう。彼をあそこまで傷つけることもなく、私がここまで疲弊することもなかっただろう。受け入れられないものは受け入れられない。その事実を見据えることの方がよほどやさしいと、今となっては思う。
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人とは、やさしさとは、げに難しきものなり。
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