タワマンパワマン緩慢散漫 side.K|ショートショート
――やっぱタワーマンションに住んでよかった。
と、30歳になったばかりの和希は思う。18歳くらいの頃から、ずっとタワーマンションに憧れてきた。タワーマンションに外車、厳つい腕時計。今も憧れるそれらは既にほとんど手中にあって、惚れ惚れする。
まるで夢の国のように、きらきらと輝きながら波打つ光の海。なぜか懐かしさを誘う光景。じっとそれを見つめていると、まるで昔からそれを見ているんじゃないかという錯覚を覚える。次いで高揚感。得たいものを得たことによる充足感すらなぜか懐かしいようで、酔うように身を任せる。
シャワーを浴びて部屋に戻ると、自分がいつもそうやって見ている景色を榮子も見ていたから、声をかけた。
「何見てんの」
声をかけながら、濡れた髪をタオルで拭きつつ冷蔵庫に向かう。榮子からの返事はない。はてなと思いつつも重要な問題ではないので放置して、その代わりふたり分の缶ビールを冷蔵庫から取り出す。グラスはいらないだろうと思う。そんな恰好をつけるような関係でもない、と和希は認識しているからだ。
缶ビールのひとつを、和希が榮子の前に置く。
「ありがと」
プルタブを引くプシュッという小さな音がふたつ分して、流れのまま缶を合わせた。かんぱい、も、おつかれ、もないことに、和希は言いようのない『家感』を覚えて、大きく息を吐いて身体を緩めた。くすりと笑った榮子につられて笑いながら、なんだよ、と絡む。
「別にー」
そう言いながら笑う榮子の横顔は、和希にとっては見慣れたものだ。力が抜けつつ伸びた背筋も、柔らかな腕も、いつの間にか馴染んでいる。
あ、と思い出して、スマホの画面を榮子に突き付けた。
「見て。俺また表彰された」
一瞬画面を見つめた榮子が、ぱっと破顔する。
「おお。すごいやん」
小さな拍手を送られて、和希は恰好をつけた表情で口角を上げた。
「すごいやろ。これで5年連続」
和希は自他共に認める成績優秀な営業マンで、エースやら呼ばれている。自分では、スーパーマンとかパワーマンとか自称する方が好きである。仕事も好きである。そのおかげで30歳手前にしてタワーマンションに住むことができた。高揚感そのままに仕事話を繰り広げる。仕事ネタだけはどれだけ話しても尽きることがない。そこに榮子が意見してくるものだから余計である。榮子はもともと近い業種で仕事をしていたし、なるほどと思わされる意見も多いので面白い。突っ込まないでおいてほしいところには突っ込まないというコミュニケーション能力も持っている。たまに榮子の仕事の話が出てきたりして、それもそれで刺激になる。もう1年近くも話をしているから、お互い話が早くて助かるのだ。
榮子がコンビニで買ってきたさきいかをつまみながら、固まっていた空気がほぐれていくような、緩慢な変化を感じる。空気がどんどん弛緩していくような、そんな感覚。
ベッドに入って和希はあくびをした。最近の疲れが出ているのだろう。柔らかさが恋しくて榮子を抱き寄せ、そのまま抱いた。何度か果てて、それから裸のまま腕枕をする。榮子の頭の重みを右側に感じ、その肩を抱きながら和希は眠りに就いた。
ふと目を覚ますと、眠りに就いた姿勢そのままで、右側から榮子の寝息が聞こえた。ほんの少し身体の位置を変えてから、その肩を抱きなおして思う。
――こいつでよかった。
めちゃくちゃかわいいわけではない、特別セックスがうまいわけでもない、胸が大きいくらいでスタイルがいいわけでもない。そんなことを考えるからずっとこうなのだろうけど、居心地の良さは確かである。
バレンタイン、ホワイトデー、誕生日、クリスマス。贈り合ったプレゼントたちが脳裏に浮かぶ。榮子が選んでくれたどれも、嬉しかったことを覚えている。
ちょっとだけ肩をゆすって榮子を起こした。目覚めのよい榮子はいつも、すんなりと起きる。玄関でまたね、と声をかけて見送り、和希は部屋に戻った。窓辺から眼下を眺める。
――結構いろいろ、手に入れたな。
そう考えると、眼下の景色がより愛おしく感じられた。ノスタルジックな光の絵。これからの未来が楽しみになる光景であり、これからの自分を奮起する光景。それを眺めてからベッドに戻ると、急に榮子の存在が恋しくなった。さっきまでここにいた榮子。あやふやな存在であやふやな立ち位置の榮子。
けれどそれはそれでまあいいか、と和希は考えなおす。はっきりさせる必要もないし、タイミングもある。今はまだはっきりさせる段階ではない。その方がいい。あやふやなくらいが。
布団を抱き締めて、和希はふたたび眠りに就く。刹那の安らぎをその身に宿して。
【完】
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