そういえば、嫌いだった。
私は、物語を読むのが好きだった。
小学生の時、1年少しで図書館の本をほとんど読み切った。
特に好きだったのが、ミステリだった。
何で好きだったのかはわからない。
人は憧れを持ったら最後、そのものになりたいと思ってしまうものだ。
例に洩れず、私も小説を、ミステリを、書きたいと思ってしまった。
中学高校と、文芸部に所属し、年3本以上の小説を書きあげた。
――あれを小説と呼んでいいものなのかは、置いておいて。
結局、ミステリを書き上げることはできなかったが、純文学に近いようななにかと、ファンタジーものを書いていた。
だが、振り返ると何かのパロディというものばかりだったし、かと思えば、自分が弱虫で言うことが出来なかった不満を主人公に言わせているだけだった。
今、演劇で最も嫌う自己満足、の表現でしかなかった。
演劇を始め、すっかり物語を書くことを辞めたが、それでよかったのだろう。
才能のある人間が書くものを見ると、憧れは手元に置いておくものではなかったと強く思う。
今ではもう、活字が嫌いだ。
本もほとんど買わなくなってしまった。
漫画もあまり手に取らなくなってしまったし、YouTubeから聞こえる音声をただ流し聞きしているばかりの日々を送ってしまっている。
書くのを辞めたことで衰えたこともあるだろう。
登場人物の名前を何時間も考え、物語を紡ぐことよりも、演劇をして、人から価値観を学んでいる今のほうがきっと私には合っていた。
目に見えて上達していることがわかるのも好きだ。
発表すれは、反応があることも好きだ。
靄に視界を奪われて、無駄な夢を見なくて済む。
おぼろげながらも、道が見える。
そういえば、夢だけを見ている人間が嫌いだった。
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