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英国で再発見した中国(語)との繋がり
UKに住みはじめて深まったのは現地の人々への理解だけではなかった。
英国、特に南東イングランドの多文化社会では、なにを以て現地の人々と呼ぶのか、もはや当人の判断に委ねるしかないのだが、ここでは話せる言語や食文化という要素を考慮した話をしたい。
私がUKで一番最初に住んだのは大学が運営している院生専用の建物だった。
60人ちょっとの同じ大学の院生たちが住んでいて、イベントなどもあったので大体顔見知りだった。
一つのフラット(キッチンやバスルームなどを共有する単位)に7部屋あり、私のフラットの構成メンバーを部屋番号順に紹介すると…
1. スポーツサイエンス(スポーツ選手の身体管理を専門とした医学)専攻、インド生まれサウジアラビア育ちのAtwar
2. Brain imaging(MRI技術関係)専攻、イングランドはDerbyshire🏇出身のShannon
3. 学部生の部屋に空きがなくて一人院生寮に迷い込んだ物理学部生、マラウイ生まれUK育ちのAsante
4. 理論物理学専攻、中国生まれ日本育ちの私
5. 薬学博士の学生、ナイジェリア出身、家族はイタリア在住のToba
6. フランスの料理学校からオファーをもらうほどグルメだがスポーツサイエンス専攻、インド出身のMurali
7. 生物化学専攻、マレーシア生まれUK育ちのSusie
と、4-5/7という驚異のTCK(3rd culture kids)率だったのだ…!
この建物のTCKは全員このフラットに集まっていたようなので大学側の粋な(?)図らいだったのかもしれない。
その他にも、今や国連で働くベラルーシ出身のDinaと仲良くなったり、女子だけのフラットに住む中国や台湾の子たちにも出会ったりした。
一方、同じ専攻のコースメイトたちは、インドから来た3人、スペインから来たLucía(フランスミックス)と私を除くと、生まれや人種に少しばらつきはあったが8割方UK育ちで、大学では英語ネイティブたちに揉まれ、寮に帰ると多少それが緩和する、というなかなか塩梅のいい環境だったと思っている。
とは言え、コースメイトのLaurenとLucíaも、フラットは違えど同じ建物に住んでいた上に、数少ない女性コースメイトだったこともあり、かなり親しくなった。
思い出話はここら辺にして、私が示したかったのは、実際の環境が、日本の人たちが英国と聞いて想像するような環境とは違うかもしれない、ということ。
そんな中で、アジア系同士はやっぱり敷居が低いというか、食文化という最強の共通項もあって自然と協力し合うようになる。英語があまり得意でない人たちも多く、アジア顔を見つけては安心した表情になる人も少なくない。
(板挟みになった現地育ちのアジア系の苦労は計り知れない。苦笑)
当時の私の英語力はというと、個人的に聞き取りやすいアクセントの人(例:スペイン語ネイティブだがフランス語話者でもありドイツ語学習経験もあるLucíaや、留学経験豊富なDina)との日常的なコミュニケーションには困らないくらいだった。
私自身が米→英アクセントへの切り替えの最中だったことや、UKの人はアメリカの人たちと違って口をあまり開かないこともあり、早口だったり声が小さかったりするネイティブ英語話者の言っていることは理解するのにかなり苦労した。
私の中国語力はというと、5歳の時以来、新しい単語をほとんど習得しておらず、語彙は英語の方が多かったため、読み書きや話す能力は当時から英語の方が上だった。が、聞き取りとなるとまだまだ中国語の方が得意だった。というか、日常会話なら頑張らなくても意味がわかるので、英語みたいに意識して聞き取ろうとする必要がなかった。今やそれも逆転してしまったかもしれないが。
こんななので、母国語を聞かれると、中国語…?と答えるべきか迷うし、第一言語を聞かれれば、日本語…?という…まあ、とにかく規格に当てはまらないTCKあるあるです。
ちょっと話が逸れたが…
中国語もそれなりにわかるけど、英語でのコミュニケーションを好む私に、英語の会話力を鍛えたい中国語話者たちが寄ってくることもあった。
もちろん人にも依ったが、同じ国の人とばかり連む人たちはどうしても好きになれず、完全に内輪の人間でもなければ、完全な部外者でもない私は、どうしても距離を置きがちだった。
数がだいぶ少ないのと、私は名前が中国語のため、特筆しなければ日本バックグラウンドがばれることもなく、日本人ともあまり関わらなかった。
まあ、上記の理由は言い訳というか、欧州に来てまでアジアの固定観念に縛られたくない、というのが本音だったのだけど。
もちろん欧州には欧州の固定観念がある。
直感に反するかもしれないが、どちらの固定観念からも自由になるには両方を知ることが重要で。
違うものの存在を認めることは、自分をその両者から解き放すことに繋がるのだ。
前置きが長くなったが、こういう背景があるので、私はUKに引っ越したとき、自分の出自やバックグラウンドを理由とした交友関係の広げ方にはなんの期待もしていなかった。
が、意外だったのは、台湾や香港、マレーシアなど、他の中国語圏にルーツのある人たちとの間に予期せぬ繋がりを感じられたことだった。
ご存知の方も多いかとは思うが、中国語とひと口に言っても、たくさんの方言や派生が存在する。
UKでChineseと呼ばれる人たちは、歴史の関係もあって広東系の人々が多い。
ロンドンのチャイナタウンで春节(旧暦の正月)が祝われるとき、BBCで報道される祝い文句は、なぜかKung Hei Fat Choi (広東語発音での恭喜发财) で、ハッピーニューイヤーを意味する言葉ですらなく、相手の金銭的な成功を願う言葉だ。笑
大陸からの留学生が多いのも事実だが、レストランやスーパーマーケットを開いて長期移住をした人たちはほとんどが広東系である。
私の元フラットメイトのSusieも、マレーシア生まれと簡単に言ったが、両親とも中華系で父親は広東地域の出自らしい。
ここ数年の政治的な動向のために香港から移住してきた人も更に増えた。
彼らと実際に関わる前は、UK領時代を経て、きっと英国っぽいマインドセットをもった人たちなんだろうと思っていた。
大間違いだった。笑
画一的な成功観やTHE•資本主義的な考え方が、中国大陸の人たちのそれとそっくりなのだ。
そういう意味では、台湾の方がもう少し緩いというか、すこーしだけ欧州寄りなのかもしれない。
言語は台湾の方が中国大陸と近いのだが。
(大陸の普通語話者の私は、広東語はほとんど理解できないが台湾の國語は大体理解できる。)
それぞれ傾向の違いはあれど、外から眺めると、これらの中国語話者には、(特に90年代生まれより上の世代の)教育重視の姿勢と成功への執着、それ以外のところでの大雑把さ、食を通した愛情表現、自己中心的なようでいてコミュニティ内の助け合い精神が強いこと、などといった明らかな共通点が存在していておもしろい。
これらの文化圏および中国語話者たちを表す学術用語があることも知った。
Sinophoneというらしい。
ここには当然、欧米豪など他地域へ移住した、Everything Everywhere All at Once に出てくるような家族も含まれている。
この映画は、私の移民1世と2世としての経験の両方を代弁してくれているような要素もある。私と似たような境遇の人々がどれだけ広範囲に散らばっているかを意識するきっかけとなる映画でもあった。
普段、国やなんかで括られることには激しい抵抗感がある私だが、Sinophoneの親に育てられ、食を中心とした文化を内在したり、古い価値観に反発したりしつつ、柔軟に現地の文化に適応して奮闘している、そんな世界各地に散らばった自由粒子たちの一つとして数えられるのは嫌な気がせず、なんだか少し誇らしい気さえするのだった。