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”血のつながり”なんて、しょうもないこと

こんにちは、ヨウです。


今回は、「血縁」に関する話をしようと思います。


あなたは、家族との「血のつながり」を感じたことはありますか?


私たちは、少なくとも誰かのお腹の中から生まれています。誰かと誰かの血を分け合って生まれた存在であることは間違いありません。

私は、実の両親を好くことができていません。確かに幼い時は大好きでした。しかし、大人になり、両親を”一人の人間”として両親を眺めた時、言い方は悪いのだけれど、「こんなに残念な人達だったのか」と落胆しました。そして、そんな両親と似ているところ(姿かたちや、性格)を見つけるたびに、さらに落ち込みました。「こんな人たちと、血がつながっているのか…」と。そう思うと、もっと嫌いになってしまいました。


しかし、私は、ある考えをすることで、この「血のつながり」から解放されました。


あなたは、「血のつながり」のせいで視界が狭くなっていませんか? 確かに、私たちは誰かのお腹から生まれました。一人では生きていけなかった存在でした。でも、今は自分の力を中心にして生きているはずですよね。もはや、家族依存社会は終わりに向かい、個人が活躍する時代が目前に迫っているのです。

そんな時代なのに、まだ「血のつながりが…」なんて言っている人、いるんですか?


煽るようで申し訳ないのですが、私はいろいろなことを思う性分でして、ここでまとめて書かせてもらいます。



血のつながりを大切に思う人

新しい情報をもっておらず、視野が狭い大人は、「あの会社の人とは関わってはいけない」「あの国の人と関わっても良いことはない」などと、大きなくくりで人間を区別します。そうする方が、楽だからです。

血のつながりについても、同じことなのです。「相手の家柄はどうか」「相手の両親の仕事はどうか」「相手の社会的地位はどうか」などと調べる親は、田舎の方では結構います。


ちなみに私の義両親は、私の過去を知った上で「そんな苦境の中でもめげずに頑張ったあなたは素晴らしい。生い立ちは関係なく、あなたなら娘を幸せにしてくれるだろう。」と、受け入れてくれました。素晴らしい方々と出会えたことに感謝です。


少し脱線しましたが、「血のつながり」を見る人は、未だにいることを実感しました。特に、田舎だったり、貧困家庭だったり、広い範囲での情報を得られない(得ようとしない)層に顕著です。あくまで私見ですが。



血がつながっていても、仲たがいは起きる

しかし、血がつながっている家族でさえ、上手くいかない家庭は多いものです。親子の考え方のズレから「勘当だ。出ていけ!」「そんなことをする子は、うちの子じゃない」なんて言葉を、見聞きした経験があるのではないでしょうか?(ドラマの見すぎか?)

私たちの親世代は、兄弟関係が上手くいっていない方が多く存在します。もちろん、兄弟の数が多いことも原因の一つですが、血がつながっているからとてそこで上手くいくとは限らないのです。


「血のつながり」という安易な共通項のせいで、視野が狭くなり、結果的に「個人」を見つめる習慣がなくなってしまっているのでしょう。



「血のつながり」に理由を求めてしまう

生きていれば、上手くいくことも、上手くいかないこともあります。それは全員に同じことです。しかし、私たちは、その理由を考えるときに「遺伝」を信じてしまいます。

確かに、遺伝というものは存在していて、見た目や性格にいくらか影響を与えることが分かっています。しかし、本来はそれがすべてではないはずです。

いくら遺伝があったって、育った時代の環境や社会の在り方は異なります。外的要因が違うのならば、育っていく過程で個人が違う考え方や育ち方をすることは当然のことです。

しかし、一部の大人は「やっぱり〇〇さんのところの子は優秀だ」とか「△△さんがろくでもないから、その子どももろくでもない」とか考えてしまいがちです。いや、そういう人は減ってきているのですが、地方ではその考えを持っている方もまだ一定数いるんです。


「血のつながり」に理由を求めるのは「簡単に理解した気になれるから」です。親の影響だ、と言ってしまえば、それでなんだか納得した気になるのです。育ちがどうあれ、子ども個人が努力したことについて触れられないことは、残念なことです。



「血のつながり」を過大評価しない方がいい

いくつか私見を書かせていただきましたが、私が言いたいことを集約すると、「血のつながりは、個人を見る上で、あまり参考にならない」ということです。


大人も子どもも、生きていれば「個人」です。誰かと血がつながっていようといまいと、「個人」が最も重要です。その人自身の考え方や行動パターン、雰囲気や態度、性格に至るまで、全て「個人」です。血のつながりばかりにとらわれていると、「個人」をおろそかにしてしまいます。

確かに、遺伝はあります。でも、個人に大きな影響を与えるのは、「血縁」ではなく、「育った環境」「出会った人」なのです。


また、ここで注意したいのが、「やっぱり、親が悪いんだ」と思ってしまうことです。何か気に食わない人がいた時に「ほら、この人、あの国の血が入ってる人だからオカシイんだ」「あの人の親、離婚してるんだってさ。やっぱり変な人だと思ったよ」と言ってしまう人もいます。

確かに、育った環境や受けた心の傷によって、性格や精神がゆがんでしまう人もいます。しかし、それは「血縁」によるものではないはずです。


だから、「血のつながり」なんて、しょうもないことを言わず、個人が育つ環境や出会った人を大切にしていくべきなのです。



終わりに ~隣の人との共通点を見つけてみる~

小学校の担任の時に、アイスブレイクのゲームとして、「隣の席の友達の共通点を見つけるゲーム」をしたことがあります。ある参考書に載っていたものでした。5分間話し合って、ただの「隣の人」との共通点を探して紙に箇条書きするというシンプルなものです。

小学校の同じ教室にいる子どもですから、それぞれ家庭環境が違います。見た目も性格も好みも違うので、「上手くいかないだろうな」と思っていました。せいぜい、「幼稚園が同じ」とかその程度かな、と。

しかし、ふたを開けてみると、少ないペアでも5つくらいは共通点がありました。子どもたちは

・弟がいる
・算数が苦手
・犬を飼っている
・パンかご飯かでいえば、ご飯が好き
・Switchを持っている
・今日、白い靴下を履いている
・ドッジボールでは、逃げる派

などなど、たくさんの共通点をあぶり出しました。中には、「宿題をなくして欲しい」という笑っちゃうような共通点を挙げる子もいて、笑いました。

このゲームで、最も多く共通点を見つけられたペアは、なんと18個も紙に書きだしていました(もちろん、数を稼ぎすぎてしょうもない共通点を書いていましたが。笑)。少ないペアでも、5分間で5個は見つけることができました。


日本には、「血のつながり」に苦しむ方が多く存在します。そういう方は、おそらく、自分の不甲斐なさや能力不足を「血のつながりのせいだ…」と悲観的に捉える方もいるかもしれません。自分の悪い性格を見つけては「あの親から生まれたからだ…」と悲しい気持ちになるかもしれません。私もそうでした。

しかし、今回私が書いた通り、「血のつながり」は大したことではありません。あなたが育った環境と、出会った人から、大きな影響を受けています。血のつながりがなく、育った環境も家族事情も全く異なり、たまたま隣にいた友達と共通点を見つけることもできるのです。


私は、機能不全家族から脱し、広い世界を知りました。そこで、多くの人と出会い、様々な影響を受けて、今この記事を書いています。昔の暗かった私を変えてくれたのは、身近に居た"自分と共通項を持った友達"でした。それに気づけるまでに、かなり時間がかかってしまいましたが。

「血のつながり」は大したことではありません。

「血縁」に苦しむ方に少しでも違う視点をもっていただければ、と思っています。



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