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柔らか躁鬱日記(病気までの経緯①)
全く自覚のなかった不眠症
元々不眠症歴はそこそこ長く、23〜24歳には1度メンタルクリニックにて病名をつけられていた。
当時仕事の上下関係がキツく……というと周りから辛く当たられていたかのように聞こえるが、そんな訳では無い。
部門内の中間管理職という立場上、上からは次期チーフになれる「仕事が出来る人」というプレッシャーに押され、下からは話が分かる「奥様方の良き理解者」として上への不平不満を漏らされ、自分を殺しながら人間と接する事に限界を感じていた訳だ。
そうやって如何にして場を上手くとりもち、誰も不快にさせずに運営していこうかそれは毎日脳をフルスロットルさせていた所、ある日眠る事へのバグが発生したかのように眠れなくなっていった。
学生の頃は12時間平気で寝るような人間だったのが、思考が脳から離れず、いつの間にか空が白んできた頃ようやく眠るという日々が続くようになっいく。
それでも仕事はしなきゃいけない。
朝早ければ8時前には家を出て、夜は遅ければ23時前に帰宅するような不規則な生活だった事も相まって、どんどん「寝れない」が加速して行った。
この時点で私は自分がおかしいとは全く思っておらず、まして病院に行こうとは1mmも思っていなかった。
オール出来るくらいの元気があった私は単に脳みそがハイになっている位にしか考えていなかったのである。今になって考えれば普通におかしいやろ、とは分かるけど。
心配してくれる人がいるという事
ありがたい事に異変に気付いてくれた方がいた。当時の職場の事務の方である。
寝れぬ日々が続き免疫が落ちた影響か、気管支炎や逆流性食道炎等など様々体調不良を起こしていた私を気にかけて話を聞き、1度メンタルクリニックへの通院を勧めてくれたのだ。
丁度近くにクリニックが出来たのでわざわざ予約出来るよう取り付けて貰った。本当に恩人です、Oさん、その節はありがとうございました。
後日だったかな、転勤前に仲の良かった事務の方も職場まで来て下さり、泣かれた。
転勤前の職場は信頼出来る上司の下で働いており、縦社会が完成していながらも風通しが良いので事ある毎に飲みに行ったり、そして死ぬ程飲んで大迷惑をかけたり、かなり充実した生活を送れていたのだ。その事務の方、Tさんも2児の母ながら飲みやカラオケによく顔を出す、人当たりのいい、明るい方だった。
それがどうだろう、異動した私はグラグラの土台を支える事に必死になってどんどん元気がなくなっていき、遂には精神まで駄目になりかけている、と。その話をOさんから聞いたTさんはわざわざやって来て、「ぱんさんが異動しなければこんな事にならなかった」と涙を流したのだ。
私も泣いた、ああ心配してくれる人って予想外に身の回りにいるんだ、と。
勿論その後通院し、察しの通り「不眠症」の診断を下された。
ありがたい事に上記の経験からか、自分が思っているよりも自分を気にかけてくれる人がこの世にはいると思うと以前よりも考え込む事が減り、結果的には1年程の通院で寛解となったのだ。
残念ながらまた通院する事になる、とはこの時は思いもしていなかったけど。