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柔らか躁鬱日記(病気までの経緯②)


不眠症の再発

転職→異動→出世

あれだけお世話になっておきながらだったが、こりゃまた精神的にヤバい所に行きそうだなと察し、26歳になる年に転職を決意した。
私は悪い意味でも他人に奉仕しがちというか、断れないというか、前職で2回異動した時は何れも玉突き事故みたいなもんだった。

1度目は本来異動する予定だった人が断った為。
2度目は職場恋愛絡みのいざこざがあったから。

全く振り回される人生だ、うんざりだ、とほんの少し自由になる事を選択したのである。

2社受けて落ち、3社目に面接を受けたのが現在務めている会社。1週間以内に合否の連絡が来ると聞いたが、当日だか翌日だかには合格の電話が来て驚いたものだ。
アパレル関係で一応全国展開しており、当時住んでいた家からも近かった為、すぐに働き出す。

結論、凄く性に合っていた。
厳しめの上司から叱責を受けたりやらかす事はあっても、お節介でお人好しな性格の私には、人にモノを勧めるのは向いていたらしい。
人から影響を受け易い事もあいまって、当時もっさりとしていた容姿も人並みくらいには成長。
それなりの評価を受ける事となった。
本来3ヶ月以上経過で社員になるのだが、数日早く上がることが出来た。

で、入社して3ヶ月も経たずに異動を命じられる。
こういうとヤバいんじゃないかと思われそうだが、面接の時点で異動の可能性を示唆されていたので全く問題無かった。
まして行先は名古屋方面、どこに出るにも移動しやすいとなればこの話に乗らない手は無い。

バタバタと準備を進め、首都高速の気の遠くなるような渋滞にはまりながら約10時間のドライブ、現在の居住地へと着く。
2015年10月初めの事である。

こちらへの異動は代行店から直営店に変わるというタイミングで選抜されたらしい。
ハッキリ言ってここから5年弱は順調でしかなかった。私生活も仕事も充実しており、二日酔いで顔真っ白で出勤する事はあっても(ようは通常運転で)殆ど欠勤せず、あっという間に2番手まで上り詰める。
更には当時の店長の栄転もあり、2019年9月にはついに店長となった。
入社して4年3ヶ月目の事である。

コロナ禍と売上不振

人手は不足していながらもマンパワーはあるメンツの中、目標を達成したりしなかったり、2ヶ月に1回は他店の先輩店長達と会議でコミュニケーションを取りながら何だかんだ楽しく働けていた(ついでに交通費が会社持ちなにをいい事に、しれっと自費で東京や神奈川辺りに泊まって遊ぶ手立ても覚える)

しかしそんな日々も長く続かず、突然「新型コロナウイルス」の流行が始まった。
緊急事態宣言が発令され、ついに私の勤務する施設も休館に追いやられる。2020年4月上旬、その前から売上は地獄のように落ちていた。
休業期間は会社携帯とiPadを自宅に持ち帰り、他の社員とはECでの販売商品のコーディネートの提案の作成や売り文句なんかを考え事業部に送る日々を1ヶ月半行う。

ここまではまだ身体は持っていた。問題は営業再開してからだ。

当然のように集客は少なく、いくら来館はあれど「接客≒声掛け≒感染リスク」という負のループで、どれだけ努力しても以前のように上手くいかない。
もちろんフリーで商品を買って頂けるような仕組み作りや見せ方を実践するも、そこはやはり圧倒的にお客様という母数が少なくかなり困難である。

加えていつでも"元の情勢"に戻れるように新人も増えたので、そちらの教育にもかからねばならず、7月後半にはあの忌わしき不眠の気配がすぐ側に来ていた。

あとはもう、転げ落ちるように、空が白んで眠る生活の再開である。

上司への告白と通院

1度あのキツさを知っているので安易に仕事をすすめるのは難しいと思い、丁度上司が来た8月のお盆明けのタイミングで過去の経緯と現状、そして通院の結果によっては有給を利用して少し休みたい旨を伝えた。
我ながらナイスな判断だと思う、少なくとも最初期よりも自分を優先する事が出来るようにはなっていたから。

まだコロナ禍で予約出来る精神科が少ない中、現在も通院している名古屋のクリニックを見付けて予約する事が出来た。
案の定不眠症の再発で、過去の病歴から間があるので最低でも月1〜2回の通院を1年は続けていく事になるだろうとの事。

……まあ慣れたものだ。
医療費は多少かかれど、これで普通の生活に戻れるなら問題無いし、月に最低1度はネイルサロンに行く為に名古屋へ足を伸ばしていた為、言い方は悪いが"ついで"だ。
宣言通りの8月後半から10日間、一時体調が悪化した11月後半から2週間程長期で休みをとったが、結果としては2022年5月の通院を持って寛解。これで一安心。

まあ、結局また1年したら再発する事になるのだが……

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