よわさがつよさに変わるとき ﹙後編﹚
この物語には、描かれていないものがある。
それは、かなしみの背景にあったもうひとつの涙の理由。
かなしみとは、もちろん自分にとって嫌だなと思うこと。
そして、こころを痛めること。
だけど、そのかなしみの背景には、
そのかなしみを感じ取った誰かのやさしさが
あった。
そして、そのやさしさ故の嬉しい涙が、その背景にはあった。
一歩を踏み出せたのは、
きっと、その誰かのやさしさが、感じ取られたから。
そのことばがあって、ぼくは歩き出せた。
その人のことばに救われて、
心からその人のことを尊敬したんだ。
本当に、やさしく、あたたかいことばだった。
ありがとう。
再稿
この投稿は、1年前の今頃。
こんなことを書いていたと、こんなことが
あったと、思い出していた今日。
こころを痛めた日の、明確な記憶が
ぼくにはあった。
そして、こんなことが昨年もあったことを
今日話す機会があった。
なぜなら、似たような場面が、1年後の今日も起きたから。
昨年と違ったことは、
もう動揺する自分ではなかったこと。
冷静に、『昨年と同じことをしていると、なぜ気づかないのだろう、何も学んでいないのだろうか』と俯瞰する自分でいられたこと。
昨年と同じこともあった。
こちらの方が、いいたいこと。
昨年、やさしさをくれたその方は、
今日も、やさしさをくれていて、変わらず
守ってくれたこと。
ぼくに、やさしく手で触れてくれたこと。
ぼくは思った。
信頼するその方は、本当にやさしい方なの
だと。
変わらないやさしさを持ちつづけている方
なのだ、と。
ぼくは一歩を踏みだした。
その方に、昨年も今日もあなたに救われたのだ、と。
どれだけ救われたか、を伝えることができた。
そしてひとこと、その方は言った。
『あなたはがんばっている』と。
ありがとう、ぼくは何度もあなたに
救われています。
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