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わかってほしいマンではない
退院して半年が経った私の日常生活や仕事の中で日々思ってるのが
どこかでまだ辛いところをわかってほしい気持ちがあるみたいと感じた気がした
リハビリや新しい生活習慣でおかげさまで
実際に数値的にも健康
脳も問題なく寛解してありがたい
元気になってきて仕事やら色々挑戦しかけてる
ですよ
だから元気だと思う
そうなんだけど
今日も治りました?って聞かれて
まじレスしてしまって
病気の後遺症である片麻痺について、なぜ治らないのか、日常生活における不便さを理解させようと頭で思ってるなぁと思ったんです最初は
後遺症による辛さや苦労を理解しろよって
感じになってるなぁと思ってしまったのだが
知っている人たちに対して、元気になったことを伝える中での葛藤や思いがすごいある
ものすごいひっかかる
でもわかるのだ他人からの言葉や期待ってより
無責任な関係であっても他人ですって関係でも
顔知ってる人が病気なのは嫌なんだよね
わかる
元気でいてほしいよね無責任な関係だから余計に
だけどその善意の部分からくる言葉にどう向き合うかとか
普段からきちんと考えているわけじゃないけど
また無責任な関係でも顔を知っている人たちと「他人には理解できない」という孤独感もある事はきっとあるけど
気がついたポイントは2つ
元気になったね【決めつけ】
治りましたね【クローズドクロージング】
でしたわ
単純にここに苛ついてたのか
ってなったので
これはただ私の怒りフラグが低く
また理解してほしいとかのわけでもなかったのです。。。