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先人達が残してくれた"モノ" #1
ある日突然「親」という"いきもの" に
なった 新入生 と 卒業生 の戦い
おじいちゃん、おばぁちゃん子 というよりは、
この2人によって育てられた、わたしの幼い心。
「 三つ子の魂百まで 」とは、よく言ったもので
今でも 2人の影響は、わたしに色濃く残っている。
両親は居た。
でも共働き … ?というか、大規模農業を営んで
いたため、両親とも忙しそうだった。
働き者で 仕事はよくできる父の元で、少し大雑把
な性格の母は、いつも必死に喰らいついていた。
おじいちゃん、おばあちゃん、父、母、兄、わたし
6人家族。
田舎だけあって、家はと敷地は無駄に広かった。
9歳の時に実家を建て替えで、8畳の子供部屋を
貰えたのが、めちゃくちゃ嬉しかったのを覚えて
いる(ドアには鍵付き、最高だ)
後に、おじいちゃん、おばあちゃんのキッチンも
作られて、プチ二世帯住宅になった。
そんな環境の元
おじいちゃん、おばあちゃん、父、母の不仲を
埋める 「 子は鎹 」になるべく必死に過ごした。
時には、優しくいい子、手のかかる我儘な子、
よく喋る口減らずな子 として、父に怒られる役目
も負った
別に何だってよかった。
私がピエロになって 笑わせたり、困らせれば
家族は 私に集中するから 大人同士は一致団結する
「 敵の敵は味方 」ってやつだ。
どうやら、子供心に分かっていたらしい
親にとって、子供とは何だろうか …
しばしば、家族内のケンカの種にされていた兄
所謂「長男は大事」ってやつだ
だから、わたしには自分に存在価値はないとも
思っていた。
おばあちゃんは、ことさら兄を可愛がった。
これは良い悪い、正しい間違い、の問題ではないん
だろう
世代間の価値観の差であり、一昔前なら当然の考え
でもある。
だからその事で、おばあちゃんを憎んだ事は
一度もない。
おばあちゃんの事は、ずっと好きだった。
料理上手で、かなりの綺麗好き、世話好きな人で、
今ならスーパー家政婦にだって、なれただろう。
だが、どうやら母は違ったようだ
自分にとっても、初めての子供なのに
仕事をしてる間に、手際のいい祖母に 何もかも
世話をされてしまっているのだ。
母にだってきっと、
「 試行錯誤しながら 頑張って子育てをしたい 」
そんな気持ちがあったのだろう。
今思えば、可哀想だな思う。
そんな小さな事の積み重ねが、積もり積もって
やがては憎しみに変わるのは、必然だったのかも
しれない。
ある日母が言っていた、兄は自分の子に思えない。
勝手に自分の子供を育てられて、何もさせてもらえなかったと、
「 兄を見ると、憎い 」と …
この言葉を聞いた、わたしは恐ろしかった
母が。 ではなく。
自分も きっと憎まれていると…
そして、その予感は 見事に的中した。
「子供が … わたしが居なければ、離婚できた
産まなければ よかった 」と …
ドラマでよく聞いた台詞が、頭の上を通り過ぎて
いった。
兄は、どうせ長男だから連れて行く事は出来ない。
でもわたしは?そう言う事らしい。
そう、家族の誰にとっても
わたしは 不要品で ただの荷物だったのだ …
家族というのは、とても厄介だ
他人のように、簡単に縁を切る事ができない。
この世で1番の "腐れ縁" なのかもしれない
それでも大人になった わたしは母親が、たまに
謝る時 こう言って慰める
「お母さん、わたし大丈夫だよ?あのときは、
お母さんも必死だったんだよね?辛かったよね。
分かってるから … 大丈夫 」
そう、わたしは 昔から嘘つきだ
本当は、全然 大丈夫なんかじゃない。
苦しかった、私さえ生まれてこなければ …
私が生まれる前に戻って やり直したい 。
誰も傷つかないように … 何度も願った。
それでも
ドラえもんは居ないし、魔法は使えない
チートスキル もない わたしには 叶わない願いだ。
それなら、
この少し重い荷物を、しっかり両肩に背負って
憎くらしくて、愛しい家族が残したモノを 両手に抱えて 生きてくしかない。
だって、それがわたしって "いきもの" だから …
天国に旅立った、おじいちゃんはヒーローのようにかっこいい人で 本当に大好きだった。
手先が器用で、絵が上手で、頭も良かった。
優しくて、ユーモアもあって、いつもドライブに
連れ出してくれて、道中も2人で大爆笑した。
おばあちゃんも 暖かい家庭にこんな母親が居たら
そんな想像させる人で、とっても女性らしい人
本当に大好きだった。
父は厳しいし、少し我儘なところもあるが、
お酒を飲むと饒舌で、可愛いところがある人
完璧主義で、物事にハマる性格 わたしの性格は
まさに父親譲りだ。
母は、運動神経抜群でThe体育会系の性格だ。
でも実は、嫉妬深くて案外 "女" の一面も強い
高校時代のバスケ部で、3年間で何度も全国2位や
1位も獲得してる、私から見ても自慢の母だ。
わたしも少しだけ遺伝子を拝借できたようで、
中学3年だけやっていた部活で、全中の舞台を踏むことができたのは、きっと母のおかげだろう。
… 愛すべき わたしの家族たちに、幸あれ …
2024/ 12 / 07
(生い立ちと家族についても、後日改めて纏めて
書きたいと思います。)