あの素晴らしいAIをもう一度
コロナカの影響で、今年の夏は田舎に帰れない(帰らないほうがいい)っぽい。
わが故郷・鳥取にウイルスを持ち込み、コロナーレ鳥取にするわけにはいかんのだ──。
でもそろそろ祖母のお墓参りもしたいなあ。
“人は誰でもタイムマシンを持っている。過去へは記憶が、未来へは希望が連れて行ってくれる”とは、映画『タイムマシン』に出てくるステキな言葉だが、くも膜下出血で倒れ、一命をとりとめつつも認知/言語障害と半身マヒが残った祖母は、おそらく記憶の大半が失われ、過去へのトラベルはほぼできなくなってしまった。
厳しさと温かさをもって幼い自分の面倒をみてくれた記憶も、いろいろな国へ旅行に行った思い出も、庭を眺めながら孫の入れたコーヒーを飲んで穏やかに過ごしていた時間も、おそらく忘れてしまったのかなと思うと、やはり寂しくはあった。
それでも生きている限り未来は続き、希望は広がる。
介護施設のみなさんには本当によくしていただき、当初は硬かった表情も徐々に柔らぎ、笑顔も見られるようになっていった(ような気がする)。記憶はほとんど失われながらも、孫の私やひ孫が顔を出すと、いつもより嬉しそうにしていたようだったし。
静かに最期を迎えるまでの5年ほどの月日は、激動の時代とともにあった過去に縛られることなく、今と未来を見続けることができた幸せな時間であったと思いたい。
とはいえ祖母が見てきたものや感じたこと、その瞬間ごとに抱いた想いを知る術は、今はもうない。
画像や音声データ、映像データなどの記録は残せるが、人の記憶もウマいこと残せないもんだろうか。
AIの発達に期待したい(← 暴論)
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