自由についての断章
自由に生きることは難しい。それは自由に生きるためには自己責任を認めなくてはいけないからだ。
日本人には大人として成熟した人は少ない。なぜなら、会社に所属する上で起きた問題は自己責任ではなく、上司や会社の上が責任を取るからである。大人とは自分のミスを自己責任で取ることだからだ。
だから、楽に生きたいのなら、隷従したほうがいい。隷従は楽に生きられるからだ。更に安心安全だ。糞な会社に当たらなければ。まあ、労働が糞なことに変わりはないが。
私の救いとは有閑階級を目指すことだ。寝そべり族や支配者層。余暇の多い<自由市民>になることこそが社会の勝者そのものだ。不平不満を言ったり、システムを変えたり社会に興味を持てるのは暇があるからだ。知恵を身に着けられるのは余暇があるからだ。寝そべりでも日本では勝者になれるのは図書館やネットなど開かれた<知>があるからである。だから<自由市民>こそが真の支配者たる所以である。働いたら負けというのは真実だ。
労働することこそが神がアダム(男)に与えられた罪だ。フェミニズムという思想も、言い換えると、女性の社会進出は女性に与えられた罪である出産の苦しみと追加してさらに労働を二重の罪を神が科しただけに終わった。むしろ、フェミニズムは女性の苦しみを増やしただけだったのかもしれない。男は一つしか罪を背負わず女は二つ罪を背負う世の中になっただけだった。神とは制度である。制度は、その複雑性には神が宿っている。
労働に多くを縛られず、生きている人がいるならその人は神を超克した人間である。しかし、労働もある程度しないと気が狂ってくる。遊び人と世間では言われるが彼らは神を超克している。
自由は難しい。自由にはリスクを取ることから始めるからだ。自由を求めてもいいことはない。自由は嘘だ。本当に求めるのは時間の富豪になることである。自由な生き方も働き方もない。あるのは奴隷労働だけだ。自由に縛られてはいけない。自由も言葉に過ぎない。自由を求めない。時間に余裕ある人生を私は求める。
自由な生き方は実のところ厳しいし大変な人生を送ることになるのだ。資本主義は厳しい弱肉強食の世界である。自由を追求するとなると、ここで生き残らないといけない。それでも自由を求めるのなら勝手にすればいい。その勝手にしろと言われることが自由だからだ。正しい生き方なんてない。答えはない。自由は隷従しないことだけど、それも答えではないんだ。
夢の強制力に引っ張られてはならない。夢は暇つぶしとして持つべきだ。夢とは欲望だ。欲望が社会を動かすが、欲望こそ身を滅ぼしかねる魔力だ。
言葉に縛られるな。想像してみて。どう生きたいのか。テレビやメディアに作らされた欲ではなく、本当の欲を知る。どう成長したいか想像してみて。自分と向き合うんだ。