陽炎の如く 生物についての随想

 突然だが、ウスバカゲロウという虫をご存知だろうか。ウスバカゲロウは一日しか生命のない生き物である。
 ウスバカゲロウはセックスをし、子供を残すだけの生き物である。
 生命の本質が生命の自己保存にあるとするならば、正直に言ってしまうと、自分は「セックスをし子供を残すだけの存在」だと思ってしまう。

 それ以外の人間のある種の思想や行動は人間の妄想に過ぎず、それは生命の一種のバグに近いとすら思えてしまう。だが、それを否定しない。なぜなら、それも一種生命の種の保存に過ぎないからだ。我々は遺伝子の乗り物でしかなく、それも一種の遺伝子による作用に過ぎないからだ。その人間の遺伝子が実は神で集合的無意識だと思うときもある。所詮、私如きの浅い知恵だが。生物学は非常に興味深い。

 カゲロウを見ていると。私はそう思った。

 たまになぜ、私はカゲロウに生まれなかったのだろうかとさえ思う。カゲロウのごとく生命としての役割をすぐ終えてしまいたかった。せめて医療の発達してない世の中で50くらいで亡くなれば少しはマシだったろう。
 人間には思考がある。思考は人間を苦しめる。生きるのがしんどいのはこれだ。芥川龍之介は現実は地獄よりも地獄的だという至言を言い放ったが、私は、思考は現実よりさらに地獄であると追加して言いたくなる。


 自分がただ、生命を次につなげるだけの存在に過ぎないと思うと少し心も楽になった。まあ、伝えず、種を減らすことを選択するとしてもそれはそれで、新しい種の保存そのものだと思う。子供を増やすという発展の仕方以外に減らすというのも一種の我が人種の発展の仕方なのやもしれぬ。つまり、バランスを取っているのである。

 ただ、生命を次に伝えるだけにしては長すぎる人生が人を苦しめていく。長く生きるとしてもせめて亀にしてくれと思うときもある。木もありだが。

 人間なんて懲り懲りだ。最強の生物であることに違いないが。ライオンのごとく、実情は強すぎて種内での競争だらけだ。

 参考文献
リチャード・ドーキンス [著]ほか. 利己的な遺伝子. 40周年記念版, 紀伊國屋書店, 2018.2. 581p


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