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小説が読めない、ドラマが見られない
読書の秋ですねぇ。
突然ですが、皆さん、本は好きですか?
私は、「本は好きですか?」と聞かれたら、「はい」と答えます。
しかし、
「本をよく読みますか?」と聞かれたら、
残念ながら、「いいえ」と答えます。
本は好きなんです。読むことも苦じゃないし、文字を追うスピードも遅くない。図書館はもとより、おしゃれなカフェなんかに行くと、たまにはスマホを伏せて、コーヒーを飲みながらゆっくり本を読む……こういうのは大好きです。
けれど私は、口が裂けても「読書家」とは言えません。ぶっちゃけ、(近所にあるのに)図書館も年に数回しか利用しないし、本を購入することは稀です。
本は嫌いじゃないのに、どうしてなのでしょうか。
理由のひとつはすぐに思いつくので、章立てせずにここで明かします。
どうしても読書以外の娯楽(誘惑)が多すぎる。スマホ(SNS)、ゲーム、Youtube、テレビ……自宅に本があったとしても、手が伸びるのは二の次・三の次、ということになりがちです。
これは昨今、皆さんに共感していただける部分ではないかと思います。
ただ、私は暇な時間が多いので、上記の娯楽に飽きることもあります。
そんなときに、さあ本を読もう。
……と、その前に、「何の本」を読む?
ここで、私が「読みたくない」となってしまうか否かの、ひとつの分岐点があります。
本の「ジャンル」です。
得意な本
上述したように、私もたまには本を読みます。
例えばカフェに行ったとしましょう。そのお店にもよりますが、いろんなテイストの文芸本が置いてあります。
私が(特に最近)好きだと感じているのは、外国での暮らしや1人旅のルポルタージュなどの、いわゆる「紀行文」「旅行記」です。普段、地元からほとんど出ることのない私は、こういう本を読むことで、知らない土地の風土を感じたり、美味しそうな料理を想像したり、軽妙な語り口で綴られる旅のあれこれに心を躍らせたりするのが、とても心地よいのです。
次に、童話や絵本のようなもの。といっても子供向けのものだけではなく(それもよく読むんだけど)、特に好きなのが宮沢賢治です。中学時代に読書感想文として「銀河鉄道の夜」を読んでからというもの、彼の世界観にハマってしまいました。まだ読んでいない作品があると、手に取りたくなります。
さらに、自宅の本棚の一角を埋め尽くしているのは、銀色夏生さんの詩集です。これは偶然高校時代に出会ったもので、彼女の詩作にこれまたどっぷりとハマってしまいました。エッセイより詩集、特に写真詩集がたくさんあって、私の詩創作の原点となっています。
と、こんな具合に、「紀行文」「宮沢賢治」「詩集」を読むのは、とても好きです。
また、自分の興味がある分野についてなら、「新書」や「解説書」のようなものを読むこともあります。
苦手な本
上記に記したジャンル以外。
……というのはあまりに不躾なので、ちゃんと説明します。
苦手といっても、「あまり読まない(読む気にならない)」だけで、「嫌い」なわけではありませんが――
私は、「小説」をほとんど読みません。
高校生時代までは、普通に読んでいました。流行りの恋愛小説とか、そういうものには手が伸びなかったけれど、若者向けミステリー(山田悠介さんの作品が流行りました)や、冒険モノ、好きなドラマの原作など……
その理由のひとつは、読書感想文の存在。誰しも必ず一作品は選ぶ必要がありますよね。
もうひとつは、学級文庫や図書室の存在。図書委員しかなれるものがなかった私は、自然と本に囲まれるうちに、ちょこちょこいろんな作品を手に取っては読んでいました。
けれど、高校を離れ、これらの環境がなくなったこと、また先に述べた通り、読書よりも他の事がたくさん周りにあったことから、次第に本のある生活からは離れていきました。
大学にも大きな図書館はありましたが、なにぶん、誰に強制されるでもなく、自由に選べますから、手に取るのはよっぽど自分が好きになったものばかり。
つまり、「世間一般で広く読まれている人気作」に触れる機会は、ガクッと減ったのです。
そうしているうちに、私が「小説」を読むことは、ほとんどなくなってしまいました。
そして今でも、なかなか読む気になれません。もちろん、それこそ強制されることはないのですが、仮に「読め」と指示されても、どれを選んだらいいのか、どれなら「読める→好きになれる」のか、見当もつきません。
学生時代には難なく読めていたのに、なぜ今、「小説」だけは苦手意識をもってしまうのか――
その答えを探すため、我々はジャングルの奥地……ではなく、自分の心の中を探ってみました。
小説とドラマ、映画
自分語りばかりになったので、一旦視点を変えます。
皆さんは、小説を読む理由……小説の魅力は、何だと思いますか?
本好きな有名人等が発信している、魅力の多くは、こうです。
「登場人物を通じて、自分とは違う人生を歩むことが出来る」
「自分では経験しないような世界を体感している気分になる」
描き出される人間関係そのものをコンテンツとして楽しむ向きもありますが、きっと多くの人が、
「小説を読むことで登場人物の人生を追体験する」
という感覚に魅了されているのではないかと思います。
さらに、ガラッと視点を変えます。
皆さん、テレビドラマはお好きですか?あ、ネット配信でも可。
連続ドラマの魅力って、何でしょう。
私が思うに、きっと本質は、小説と大差ないのではないでしょうか。
つまり「登場人物に感情移入したり、共感したりする」。
逆に、この視点が持てないようなドラマは、ほとんどの場合、大衆向けの人気作とはなっていないと思います。
ドラマを見る人の心理にまで言及してしまうと、このnoteが破綻するので、もう少しで本に話を戻しますが、じゃあなぜドラマを例に出したかというと、
(今の)私は、ドラマを見ることも、ほとんどありません。
これも、高校に入るくらいまでは見ていました。本よりもずっと頻度高く、熱心に。
というのも当時は、旧ジャニーズのタレントやイケメン俳優にお熱を上げていた時期でした。彼らが少しでも出るとなれば、そりゃもう万障繰り合わせて、開始時刻にはテレビの前に座っていないと気が済まなかったほどです。連ドラであればそれを毎週。しかも複数のドラマを同時期に視聴することもしばしば。
今じゃ考えられません。
さらにさらに、ドラマを見るなら映画も見ます。
ドラマや小説よりもずっと短い時間で完結する映画は、(見る手段さえあれば)より手に取りやすく、楽しみやすい。
実際、今も映画は、他の2つより見る機会は多いです。
しかしその中でも、かつては洋画も邦画もいろいろ見られていたものが、今はアニメ作品か、ごく一部の洋画(それも最新作ではなく過去のもの)しか見なくなってしまいました。
さあ、次の見出しから本に話を戻しましょう。
ここでこの章をまとめます。
「小説」「ドラマ」「映画」の共通点は、
「登場人物に感情移入して、その人生を追体験すること」です。
感受性が強すぎた
たまには結論からはっきり申し上げましょう。
私は、感情移入したり、他人の人生を追体験したりするのが、苦手です。
それじゃあ小説もドラマも楽しめないわけだ。
ちゃんちゃん。
……少し掘り下げさせてください。
私は、子供のころから、どうも感受性が強かったようです。
昨今では「HSP」という概念も知られるようになりましたが、たぶんそれに該当するんでしょう。また、「共感性羞恥」という概念も今やメジャーですが、たぶんそれも含んでいます。
心理学の専門ではないので、曖昧な表現しかできませんが……
今振り返ると、子供時代から経験してきたいろんな感情や体験の多くは、私が「感受性が強すぎる」ために起こったことだと分析しています。
話を戻します。
小説やドラマの魅力は、登場人物の人生を……と再三言いました。
その人生、もちろん良いことばっかりじゃありません。
友達と喧嘩する。恋人と別れる。親しい人に裏切られる。誰かに叱責される。挫折する。病気やケガをする。こんなのは物語の日常茶飯事ですね。
さらに……
いじめられる。パワハラを受ける。犯罪を起こす、あるいは巻き込まれる。死別する。人生に絶望する――
物語を彩るであろう、これらの「負の出来事」は、確かに小説・ドラマには欠かせません。
それを乗り越えたり、乗り越えなかったりして、ストーリーは進んでいきます。
私は、登場人物が「負の出来事」に出くわすのを、読んだり見たりするのに、疲れてしまうのです。
時には、その場面を読むのが面倒・億劫だと感じます。
それはきっと、私が登場人物に感情移入「しすぎて」しまうからなのでしょう。
あるいは、一部の出来事を自分も経験しているが故に、その嫌な思い出を呼び起こされてしまうのに、耐えられなくなることもあります。
余談ですが――かつて「スカッとする系のショートストーリーを取り上げるバラエティ番組」が放送されていましたよね。私、あれ見られませんでした。スカッとする前に、映像の前半でイライラしちゃって。頭の中ではその原因となる人物を殴……(自重)
とにかく!
私は、架空の人物であっても、彼らの経験や感情を「自分事」と捉え、一喜一憂してしまうので、
波乱万丈な物語に触れることは、とっても疲れるのです。
架空じゃなければなおのことなので、ノンフィクション系ドキュメンタリーも、実は大の苦手です……。
物語を楽しむには
でも、実際は、小説やドラマを楽しむ方の多くが、登場人物と共に一喜一憂すること、波乱万丈にハラハラドキドキすることを楽しんでいると思います。
むしろ、日常では体験できない感情を得ることを、本を読むモチベのひとつとしている人もいるはずです。
そして、ここで注釈。
私は決して、HSPや、感受性が強い方が、みなひとしく、物語を楽しめない、と言いたいわけではありません。
そういう感覚をお持ちの方でも、小説やドラマを楽しく思っている人は、たくさんいらっしゃいます。
あくまで、私が、それに該当しないタイプの人間である、という話をしております。
それで、私なりに、「物語を楽しむ条件」を考えてみました。
それは――
「他人の人生は他人のもの」と一線を引けること。
架空のお話、あるいはノンフィクションでも、自分とは関わりのない人間のお話なのに、彼らの体験や感情を全部、自分事に捉えて、内に入れてしまうから、疲れるのです。
日常生活でも、見知らぬ他者のあれこれに感情を動かされてしまうことが、ことSNSの世界だとよくあります。
追体験はしているけど、この人は私じゃない。この人はこういう生き方をして、最終的にこうなったけど、私は違う人生を歩んでいるのだから、全く同じ出来事と結果にはならないし、得る感情も感覚も別のもの。
と、こんな感じで、「自分」と「(物語の中の)他人」を切り離して考えることを、普段から出来ている人が、きっと小説やドラマを心から楽しんでいるのではないでしょうか。
私は今も、「自分」と「他人」を少しだけ切り離す練習をしています。
そうでないと、抱えられるものなんて、簡単に溢れちゃいますから。
でも、わざわざ自分から疲れに行くことないよな……もっと他の楽しいことがあるもんな……
そんなわけで、私は小説やドラマを、他の人よりは楽しんでいない、というお話でした。
余談&〆
じゃあ、もっと手軽な、アニメや漫画はどうなのか?というところですが、ぶっちゃけそれも、「物語」であることに変わりはないので、そんなに読んでいません。
ただ、例えば「鬼滅の刃」(ほぼ全巻読みました)のように、現実とはかけ離れた世界を描いているもの・ファンタジー要素の強いものなら、「自分事」に取り入れちゃうことが少ないので、人間模様も含めて楽しく読むことが出来ています。
これらのアニメ・漫画は、むしろ子供時代よりも今の方が、食わず嫌いすることなく触れられているのかな、とは思います。
ディズニーやジブリ、「ハリーポッター」などの映画も、割と好き。
ほとんどの映画は2~3時間で完結するので、多少感情が揺さぶられても疲れにくい、というのもあります。
というわけで、今日は、
「私が小説やドラマを楽しめない理由」を書いてみました。
物語を楽しめる人たちが、ちょっとうらやましいですが、
私は私にしかなれないので(重要)、自分のできる範囲で、楽しもうと思っております。
もし共感してくれる方がいたら嬉しいです!
今日はここまで!
ご清覧ありがとうございました。