Lutraが始まるまで〜自分のことその16(最終回):ついにLutraがやってきた!&このシリーズを終えるにあたり一言
みなさんこんにちは!
先月からちょこちょこ進めていたこの自己紹介シリーズも、やっと現在まで今日で書ける気がしましたので笑 今日が一旦最終回となりそうです。
(ちなみに今日は満月ということで、いい感じに節目になりました!)
今回のシリーズは大枠の私ことまなみとLutraがどんな背景で何で始めたのか?をできるだけ面白く・素直な私の気持ちを書きたいと思って始めました。
そしてちょっと大袈裟かな?と思うところもあるかもですが、私がいつ死んでも自分の子どもたちとか、それ以外の大切な人、関わってくださったすべての人に何か自分の持っているものでエネルギーになるものが渡せればと思っていました。
それが今私がやりたいことなので、今日完成させることができてとても嬉しく思いますし、ここまで❤️や、読んでくださった方がいつもいてくださったから最後まで書けたのだと本当に思うので感謝でいっぱいです。
途中から読んでくださった方向けに、以下にわたしとLutraの初めてのマガジンを作成してみましたので、また縁があれば覗いていただければ嬉しいです☺️
それでは最終回、WEB3のベンチャー会社を出てからLutraに出会うまで。
私はWEB3の会社に入るにあたり、というよりその前もずっと、目標を設定していました。
具体的にいうと、この会社では※*の経験を積んで、``の状態になったら出るぞ!的なものです。
できるだけ手を伸ばせば届くようなくらいの目標にして、それを達成してその環境でできることがなくなったら出ていく・・・というような感じです。
WEB3の会社に入るまではすべてその考え方で進めていて、フリーランス側のプロジェクトも同様に設定して進めていました。
余談ですがこれは高校生の時から染みついた習慣です笑
WEB3の会社は、特にその黒さはあまり深くは書きません(興味ある方はぜひお話し会を今後定期的にするのでそちらでお話しできればと思います笑)が、目標達成どころか、社会の一員としてまなみは存続できんのか?!ここにいたらそのうち〇〇に抹殺されそう😇というレベルまで追い込まれてしまった初めてのケースでした。
私はサラリーマンとして有終の美というか、今までお世話になった人や環境への感謝も込めて、これから成長する産業で最後個人として貢献したい!と思っていたのに、ある意味人間性を捨てて働くことを強要されるような環境でコミットしないといけない、全く社会とは反する結果になってしまったことが受け入れられなくて、数ヶ月全く何も手がつかない状態になりました。
このままではいけない!何とか生きる気力と活力を取り返さねば!と思い当時コロナの影響がまだ大きかったのですが、その中でもできるだけ今の環境から離れられるところを・・と思い、活気がありそうでコロナ禍でも入れたタイ(バンコク)とベトナム(ホーチミン)へ向かいました。
元々私は20歳の頃から日本以外のところで生活をしたり、人生を送りたいという思いが強かったので、WEB3の会社に入ったタイミングでやっと海外にいけると思っていたのですが、速攻で出ることになったので今後どうしようかなと思っていたわけです。
なのでひとまず海外で実際に生活したり働いている人の話を聞いて、自分の人生の参考にしようと思いました。
結果バンコクではその後の自分を「Lutra以外の会社を創業に関わる」という形で成長させてくれる方との出会いがあり、ホーチミンでは「自分が代表をするLutra」を一緒に進めてくれる大切な仲間との再会がありました。
その出会いを通して、私は2社の創業に関わることになり、その中で自分の20歳からのビジョンの体現の場として、サラリーマンやフリーランスの道も考えたけど、自分とは切り離してそういう場所を作っていくのが最も体現できそうだと考え、法人という形で「Lutra」を創業することに決めました。
復業フリーランスだったとはいえ、独立することに対してはかなり緊張しました。
なんだかんだで会社勤めは他人のせいにできるところもありますし、今までは割と建てた目標に対して色々ごちゃごちゃ辛い時期も多かったけど何とか達成してきたけど、最後の会社でもう自分ではどうしようもないくらいまで叩かれ、どうしたら良いのか正直わからなくなっていたからです。
でも、そんな混乱の中でも自分の中の心の声がこう言ってました。
あの不安で堪らなかった20歳の自分に、あの時自分が描いたものが最後どうなるかを、ちゃんと見せてあげようよ。
自分の人生、15年前に貫いたものの先を、最後まで勇気を持って見てみよう。
Lutraを作るために必要なものは、20歳からの経験で全部揃った。
この海に出たら、私の人生後悔も何もなくなるだろう。
大きな自分の人生の流れも感じ、Lutraを創業することに腹を括りました。
そして、一年半が経過し、今ようやく少し落ち着いたかなというところです。
創業のゴタゴタはその後あったけど、目に見えない流れに色々押していただいて、気持ちよく毎日呼吸もできているし、少しづつ私がLutraで実現したいことが形になってきて、悪いことも含めて笑充実した日々を過ごしています。
ちなみにLutraの意味は、ラテン語でカワウソを指します。
そしてなぜカワウソかといえば、私が似ている笑 のは半分冗談半分本気で、見た目は小さくてか弱いけど、中はなかなか一言では言い表せない複雑性を表現したかったというのもあり。(参考:Wiki https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AF%E3%82%A6%E3%82%BD)
あとはこれは誰にも言ってないのですが、U(あなた、やあなたたち)とLutraを足すとウルトラ、となり「過度の」や「最重要機密」を表すのも、何だか混沌としていて面白いなと思ったのも選んだ理由です。
見た目・呼びやすさ、感覚はシンプルに、でも中身は色々混沌としていて詰まっている、私らしい名前にできたかなあ〜と思います。
ということで、自己紹介シリーズはこれにて一旦終了です👏✨
最初からLutraのやっていることを書くこともできると思うのですが、
私はそれよりLutraがどうやって始まったのか成り立ちを知ってもらいたいし、その上でやっていることやできること、お渡ししたいこと、伝えたいことを書く方がもっとたくさん伝えられると思ってこのシリーズを書いてみました。
実際書いてみると、後半のところはまだ時間が経っていないので整理ができていないからかもしませんが、前半のこども時代〜20歳@アメリカで芯が出来上がって、あとはその周りを枝で作って、土に埋めた感じだったんだな〜と感じました。Lutraの芯はすでに20歳でできていたなと。
Lutraは、うまく伝えられてるかわからないですけど、こうなったらいいよね〜の世界がみなさんのそれぞれの中であり、それを自分たちの持っている才能だったりご縁だったり、新しいものを生み出す情熱やアイデア、創造性を使ってみんなで現実で見てみようという感覚を大事にしています。
なのでLutraに関わる人はみんな自由で、自分のこだわりを大切にできて、大変だけど新しいチャレンジを楽しめる人であります。
なのでLutraは一応ブランドマーケティングという機能を中心に生きていますが、あくまでもそれは目的ではなく、手段という感覚です。
ブランドマーケティングの専門家をしたいからLutraをやってるわけではないということです。
前の日のNote(パンフ制作裏話)でこの辺りもちょっと書いてますが、
やっぱり現実にLutraがやっていることを見ないと、なかなか実感として分かりにくいと思いますので、これからはゆるりと、でも丁寧に真剣に、楽しみながらLutraと生きていこうと思います。
このシリーズはここまでとなります!
本当にここまでお読みいただき、ありがとうございました!
明日以降はようやく、なんかビジネスっぽいもの笑も踏み込みながら、
「ブランドマーケティング」についてとか、Lutraでのこれまでの仕事についても私まなみがおもしろおかしく😂書いていければなあ〜と思っておりますので、次のシリーズもぜひ読んでいただければ嬉しいです!
本当にありがとうございました!
また現実の場でもぜひお会いしましょう🌈 良い日曜日を!