音楽を取り戻す
暑さを感じるようになるこの季節、車を運転中にかける音楽は、ロックがいい。
毎年のように思うことだから、気温や光と音が、私の今より若い時のどこかで、結びついたのだろう。
少しうるさいぐらいに大きめの音で聴きながら、できれば遠出をしたくなる。
音楽を聴くために。
昨年の秋、卵巣腫瘍の再々発で手術を受けた。
入院して、手術して、体力が落ちると同時に、音に対する忍容性が落ちた。
音楽どころか、最初は人のしゃべり声、特にテレビの音を煩わしく感じた。
聴きなれたはずの音楽であっても、なかなか聴こうと気持ちが動かないなかった。
今年になってから、もともとクラシックのギターを弾く方が、自分で作った曲をCDにして送ってくれた。
ウクレレの音色が柔らかく、とつとつとした音が優しいCDで、そこから「音楽を聴く」というリハビリが始まったように思う。
3月、これもまたTwitterでのことであるが、ある方ととある歌詞の一部を交換した。
その人とは好きなバンドが共通していたのであるが、なかなかそれを私が言い出す機会がないまま、その人がアカウントを削除する間際に、そのバンドの歌の一部を贈った。
すると、その人からすぐに歌の続きが返されてきた。
その歌を、聴きたいと思った。歌いたいと思った。ライブに行きたいと思った。
久しぶりに、その歌を、歌声を、渇望している自分に気づいた。
胸が震えるような、そんな応答だった。
その頃には、Covid-19が流行していて、外出の自粛のみならず、ライブハウスがやり玉にあげられて音楽や舞台、映画といったエンターテイメントが次々に自粛の対象になっていっていた。
その代わりには足りないが、TwitterやYouTubeで、自宅から発信されたり、特別に収録された、クラシックの音楽に、心を癒されることが何度もあった。
ことに心を揺さぶられたのは、弦楽器の音と、オペラなどの歌声だったように思う。
単体でもメロディを奏でやすいものであったからこそ、発信しやすく、触れやすかったというのもあるかもしれない。
それぞれの演奏や歌声にこめられた思いに触れることで、さらに心が揺さぶられたものだった。
他方で、車を運転するときには、ネット経由の音源に頼りたくないので、やはりCD。
この1か月は、Van HalenとBon Joviの、それぞれベスト盤を交互に聞いていた。
Van Halenがメロディといいギターといい一番好みにしっくりくるのだけど、Covid-19の日々は、Livin' on a Prayerが聴きたくて聴きたくてたまらなくなったのだ。
祈りながら生きる。希望にすがるようにして生きる。
聴きながら、なんともたまらない気持ちになった。
そういう元気な音で気分を盛り上げながら、出勤している。
いくら好きな歌でも、何度も聴いていると、だんだんと飽きてくるというか、違うものも聴きたくなるもので、だんだん、車の中にCDが増えていく。
今週、引っ張り出してきたのは、Mr.Bigのベスト盤。
この頃の、こういう音が好きだったんだよなぁ。
私はだいぶと音楽を取り戻した。
嬉しい。