感想『ウンム・アーザルのキッチン』
菅瀬晶子(文) 平澤朋子(絵)
月刊たくさんのふしぎ 2024年6月号 福音館書店
発売を楽しみにしていた絵本が届いた。
イスラエルの北の方、海に面したハイファという町に住む女性、ウンム・アーザル。
彼女はアラブ人で、キリスト教徒。
お料理上手で、4人の子ども達を育ててきた、還暦を過ぎた女性。
子どもに語りかける優しい口調で、その女性の一週間の過ごし方を紹介する。
一週間を描きながら、その女性の生まれ育ち過ごしてきた様々な苦難を描き、その地に住む人々の暮らしぶりを描き出す。
そこに人が住んでいる。生活がある。生きている人たちがいる。
ウンム・アーザルはきっと働き者の手をしている方だろうと思い描きながら読んだ。
ウンム・アーザルは、週に一度、山の上の修道院でお料理を作ったり、帰省してくる子どもや孫たちにお料理を食べさせたり、近所の働く女性の食事の準備を手伝ったり。
私の大好きな中東のお料理がいろいろと紹介されているのがとても楽しい。
カルダモン香るコーヒーに、アニスシードと金ゴマを混ぜたビスケット!
ババガヌーシュにタッブーレ、ぶどうの葉でお肉とお米を巻いた煮込みとか、きゃあきゃあと心のなかで歓声をあげてしまう。
知らなかったこともいっぱいあるし、食べたことがないものもいっぱいあるし、美味しそうだし。
食べることは生きることの中央にある。
アラブ人は、アラビア語をしゃべる人々。
ユダヤ人は、ユダヤ教を信じる人々。
イスラエルは1948年建国。ユダヤ人のための国。
ウンム・アーザルは1940年生まれ。
イスラエルができる前から、パレスチナの地に生まれ、住んでいた人。
ウンム・アーザルは四人の子どもを育ててきた。
働きづくめの人生を満足だと語る台詞でしめくくられるけれど、彼女が過ごしてきた人生は楽なものではなかっただろうと思いを馳せる。
インターセクショナリティ(差別の交差性)という言葉がある。
イスラエルに住むアラブ人というマイノリティ性。
イスラエルに住むキリスト教徒というマイノリティ性。
そして、女性である、ということ。
更に、世代や時代の難しさもあったかもしれない。
本文とは別に、絵に添えられた台詞に、ぽそっと、彼女のつぶやきが添えられていて、胸がきゅっとなる。
「本当は」
という前置きのある言葉が、きっともっと心の中に隠されているのだろう。
手を動かしている間は忘れられる。忘れていたいようなことは生きていればいくつも積み重なる。
イラストのウンム・アーザルの笑顔はとても素敵で優しい。
2010年に福岡市博物館でポンペイ展を見た時、浅香正先生が講義の中で話していらしたように記憶しているのだが、ナポリ・ポンペイ考古学監督局のほうから、「ポンペイの展示をするなら、彼らがいかに死んだかではなく彼らがいかに生きていたかを紹介してほしい」と言われたという。
そのエピソードがふっと蘇ってきた。
2023年10月7日以降、改めて、イスラエルは紛争のど真ん中となり、この本を受け取っている今も、ガザでの虐殺が続いているのか止まるのかが気が気ではない。
ニュースで知るイスラエルは物騒な話題ばかりであるし、アラブはアラブで2011年以降は特にテロとすぐに結びつけられがち。
けれど、その場所で人々は、普通に生活している。生きている。その生に光を当てた、素晴らしい一冊だと思う。
蛇足になるが、ウンム・アーザルのお孫さんが、ウクライナに留学しているというくだりで、悲鳴をあげそうになった。
巻末に添えられたその後の家族の様子のところで、その方はウクライナ侵攻の前に卒業して帰国し、医師として働いていると書いてあり、ほっとしたのも居心地が悪い。
ほっとしてはウクライナに住む人たちに悪い気もしてしまうのだけど、素直なことを言えば、よかった。
早く平和になってほしいや。
かの地に住む人たちが、安全で、安心して、いつも通りの毎日を送れますように。
願わくば、昨日よりも今日が、今日よりも明日が、ほんの少し、よいものでありますように。
そして、作者の菅瀬さんが、安全で、安心して、お友達に会いに行けますように。
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