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父はオーパーツ

今月は、私が風邪を引いた。高熱を出したのは1日だけだったが、咳発作が続いた。
昨年のコロナ罹患や間質性肺炎を思い出したが、三週間してやっと落ち着いてきた。

一緒に住んでいるので、家族も同じく、父は発熱し、母は咳を患った。
父は発熱時に立てなくなり、救急搬送してもらい、そのまま、今も入院している。
初めて、付き添いで救急車に乗った。自分が搬送された以外では、初めてだ。
電話で救急車をお願いするのは、だいぶと、慣れてきた気がする。

こんなことがあると、父のいない日が近づきつつあることを考える。
その父は、かつて、職業はプログラマーだった。
SEと名乗ることは嫌いだと言っていたことがある。
自分はプログラムを書く人間だと言っていた。
退職してからも、最近まで、新しい言語の勉強をしていた。
そういう人だ。

だから、私が小学生の頃、私に手に職をつけさせようと、父はプログラムを教えようとしたことがある。
当時、まだ、Windowsはない。
マウスもない。
点を書く、線を引くのも、画面上の座標を指示して、色を決めて、いちいち指示をしなければならなかった。
当時の言語は、Basic。私が最初に学んだプログラム言語だった。
全然、面白くなくて、子どもの私はさっさと逃げ出した。
その後、高校の情報処理の授業ではフォートラン、大学の授業ではパスカルを学ぶ羽目になる。
そういう時代だった。

先日、セキュリティ・エンジニアという方と話す機会があった。
システムを外部の攻撃から守ることが専門なのだそうだ。
そのために、パソコンで動かすプログラムと、そのプログラムを走らせるOSと、そのOSを支える…と、レイヤーで考えることなど、教えてもらった。
そして、下層を支えるプログラムは、古い言語で書かれている。
その古い言語を使いこなせる人材が不足している、と。
そりゃそうだろう。父は80代だもの。使える人はとっくに現役を引退している。
と思った時に、今だったらBasicが使える人は年収5000万もありえると聞かされた。

父ー!
父ー!!
今こそ出番だー!!!

父が元気だったら、1年間だけでも、売りに出したいと思ってしまった娘である。
父が元気だったら。
構音は苦手になっても、そんなに認知症は進んでいないと言われている父だ。
父が元気だったら、在宅でできるような、週に1−2日程度のお仕事ないですか?って言いたかった。

帰宅して、その話を父にした。
父が大きな目を嬉しそうにくりくりと見開いた。
父が最初に学んだのはBasicなんだろうか。CとかC+とかも使っていたことがあると思う。
パールとかルビーとか、なんかいろいろ試していた人だもの。
なにが起きているのか、なにが必要なのか、父ならわかる。

5000万だって。
父のスキルが、今になって時間遅れで評価をされたようで嬉しくなった。
少しでも活躍できるような出番があったら、父も嬉しかろうに。

でも、人のプログラムを読むって疲れるもんね。

私はそう言って、家族の話を終わらせた。

その夜、寝しなに父がふっと言った。

僕はね、人のプログラムを読むのは得意なんだ。

父の大きな目は、やっぱりくりくりと見開いていた。
得意げに。嬉しそうに。

その顔を見ることができただけでもよかったと思う。
今は、とりあえず、歩行できるようになろうね。父。
立つ、歩く、ができないと、我が家では暮らせないから!
リハビリ、がんばれー。

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