病歴42:BEP療法1コース
5月から始まったBEP療法。
前回の記事では、その始まったばかりの入院中に書いた。
2つ目の記事は、なにはともあれ、1コース目が終わってから書こうと思っていた。
まだ、2コース目は始まっていない。
第1週は、5日間連続で点滴をする。1回の点滴は日によって前後するが、6-8時間程度。
10時頃に開始して、18時前後に終わっていた。それが5日間続くので、入院して受けた。
そして、第2週、第3週は、一回ずつ、外来で追加の点滴を受ける。
それが1コースのスケジュールだ。
昨年受けた抗がん剤治療と同じつもりで仕事の予定を組んでいたが、退院した日曜日の夜、あまりにも身動きができなくて驚いた。
入院中も3日目ぐらいまでは特に不具合は感じず、朝からストレッチやヨガをするぐらいの余裕はあったのだ。
点滴が4日目になったぐらいから、食欲不振や倦怠感がひどくなり、夕食後に運動代わりに院内のコンビニに行くのもやめた。
体がいきなり重たくなったような身動きのつらさに襲われたのだ。
それでも、退院予定の日曜日、この日の夜に、古い友人と会う予定が入っていた。
コンサートのチケットを送ってくれていて、それには是非とも行きたいと思っていた。
声だしOKになってのコンサートで、マスク着用も自由になっている人ごみに行くのは怖かったけど、せめて短時間でも友人に会いたかった。
しかし、退院後、家に帰って横になったら、起き上がることができなかった。
とんでもなくきつい。まずい。やばい。
泣く泣く友人にはキャンセルのメールを打った。
翌月曜日から出勤の予定にしていたが、駐車場についだだけで、ぞっと総毛だつような気持ち悪さに襲われた。
職場まで、5分とかからないような距離なのに、途方もなく遠く感じる。
驚くほど、体力が落ちており、体調が悪かった。
それでも、現在の体調と今後の方針について、上司と話し合わないわけにはいかない。
幸い、私の職場は、上司は、理解のある方だ。
治療を優先した上で、できる範囲の業務をするのでよいと言ってもらえる。それがありがたい。
いつも安定してそこにいる、ということが、私が第一に持たなければいけない機能であるのに、それが果たせないので、できることは限られてしまう。
それでも、なるべくできることを探しながら、やれることをやっていかねば。
そうは思うのだけども、自分があまりにも不調すぎて、このまま就労していけるのかが不安になった。
就労できなければ収入がなくなる。しかも治療費はかかる。家族にも迷惑をかけるばかりだ。
不安と動揺で情緒的に混乱し、落涙が止まらなくなった。
仕事ができず、家計を支えられず、家族の世話もできないなら、私は役立たずであり、生きていればコストがかかるばかりで、いないほうがいいのではないか。
そんな考えがぐるぐると高速で堂々巡りし、治療を投げ出してしまいたいほど、苦しかった。
緩和ケア医と精神科医に相談し、抗うつ薬を増強して、やっと平常の自分を取り戻すことができた。
抗がん剤のダメージが徐々に落ち着き、1回目の追加の点滴を終えてからは、なんとか仕事も内職もできそうかな、と思えるようになった。
が、予定がずれこんだのは、5月の下旬。
2回目の追加の点滴を受けるはずの日だった。
白血球が900しかない。血小板も7万しかない。
その意味は、いろんな医師や看護師に訪ねてみてからしか危機感を持てなかったのであるが、要するに、低すぎるほうでの異常値。
感染症も命取りになるし、けがをしたら血が止まらなくなるような状態になっていた。
白血球の減少に対しては、予防的に抗生剤を処方された。すぐに口内炎がひどくなり、噛むのも痛いし、食品があたってもいたいし、すっぱいものもしょっぱいものも染みるし、リンパが腫れて耳や頬が痛いしで、処方されていてよかった。
血小板はその場では処置は特になかったが、それ以上下がっていくと、入院して毎日の採血や、場合によっては輸血が必要になると聞いた。
そうなると、出勤や外出が命がけモード。
コロナが5類になったニュースも、インフルエンザやその他の感染症の流行のニュースも、なんだかとっても気が重くなる。
リスクの高い人間は病室に閉じ込められているわけでも、自室に閉じこもっているわけでもないんだぞ。
通勤したり、通学したり、普通に街の中に存在しているのだ。
そして、できれば、コンサートや映画館だって楽しみたいし、買い物や外食だってするのだし、ほかの人がいる場所に行きたいことや行かねばならないこともあるのに。
なんでリスクの高い人間は死んでもいい、殺してもいいと思われねばならないのか。
理不尽。
いろんな人の理解と協力を得ながら、仕事は継続している。
大学で講義をするという、年に一度の、私にしては大きな仕事も無事に終わらせることができた。これはできてよかった。ほんとによかった。
その後、とにかく食べることを意識した。食べないと、血液の状態は回復しない。入院前から3kg以上減っていた体重を、1kgだけ戻せたぐらいは食べた。
と同時に、今はそういう治療なのだというあきらめも段々とできてきた。
その日の体調によってしか治療が進まない。それぐらい、シビアな状況に自分がいる、ということ。予定が立たないことをあきらめるしかない。
予定が立たないなりに、なるべくクライエントに迷惑をかけないシステムを構築するしかない。そして、できないことは今は後のばしにさせてもらうしかない。
幸い、昨日は2回目の追加の点滴を受けることができたし、来週は2コース目の入院治療が受けられそうだ。
それもまた、その日その日の状態によって、中断になるかもしれないし、入院が長引くかもしれないけれど。
とりあえず、私にてきめんにダメージを与えてくれている薬剤だけあって、腫瘍にも効果は出ている。
治療が進まないと終わらないので、2コース目に入れそう、という希望を胸に、引き続きがんばろうと思っている。
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