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病歴⑪:抗がん剤治療1クールから2クール

抗がん剤治療の1クール目の1回目は入院して行ったが、2回目からは通院で行った。1クールは3回の治療からなる。
私の通院先の場合であるが、抗がん剤治療を受けるための部屋は、日当たりのよいサロンのような雰囲気だ。壁際にはベッド、窓際にはリクライニングチェアが並んでいる。
1回目の治療のための入院中に、その部屋を見学させてもらっていた。
付き添いが待つことができるスペースもあり、そこには各種がんのパンフレットやウィッグ類など、抗がん剤治療を受ける人と家族向けの情報提供コーナーにもなっている。

治療の日は、まず、その化学療法室に行く。
そこで問診と採血、血圧と体温と体重の測定がある。看護師さんたちは、前回の治療からの体調の変化などを詳しく確認してくださり、その中で重要なことについて主治医に伝達をしてくれるのだ。
それが終わると、今度は主治医の診察を待つ。主治医は、先に検査したもろもろのデータから、その日に抗がん剤治療をしても大丈夫な体調かどうかを判断する。副作用などがあれば、この時に薬物療法についても相談することができる。
医師のOKが出たら、再び化学療法室へと向かい、ここから2時間ぐらいの点滴を受ける。
…という流れだ。

これはまた別の記事で書こうと思うが、抗がん剤治療は骨髄の機能を低下させるので、赤血球や血小板、白血球といったものが減る。
赤血球が減れば、当然、貧血になる。貧血がひどければ、輸血が必要になったり、その状態が回復するまで抗がん剤治療を休むこともあるそうだ。
だから、体調のチェックは、毎回、きちんとしっかりと行われる。
慎重にしなければならない治療であると感じるし、慎重にしてもらっていることに安心感と信頼感を持って、治療を受けることができている。

2回目の抗がん剤治療の日、通院での抗がん剤治療を受ける流れもよくわかっていなかったため、だいぶと緊張しながらあっちに行ったり、こっちに行ったりした。
前日は緊張のあまり、パニック発作を起こすんじゃないかというぐらい。そのため、抗がん剤治療の前は安定剤や抗うつ剤を服用することもよいのではないかとアドバイスをもらった。中でも、ドグマチールは吐き気をおさえることにも役立つのではないかと薬剤師さんから助言を受けた。
初回は医師が抗がん剤の点滴の針を刺したが、二回目のこの時からは看護師がするという説明を受けて、いざ、始まった。
アレルギーを起こさないかどうか、顔色を見るために、マスクをはずすように言われたことも憶えている。
が、点滴が始まってすぐに眠気がやってきたので、途中で薬剤師さんから薬と副作用の説明があったことは憶えているものの、なにを説明されたかはまったく記憶に残らなかった。
せっかくプリントもくれたのに、なんの説明だったんだろう。記憶にないので、改めて質問することもできない。

それぐらい眠たかったのであるが、なかなか眠れなかったような記憶もある。1クール目の2回目の時だったか、3回目の時だったか。
隣で治療を受けていらした年配の女性が、うなされているのか、苦しいのか、ひっきりなしに呻いていらして、気になって仕方がないことがあった。
寝言になるのだろうか。ひどく苦しそうな様子に聞こえてならなかったが、看護師さんたちは特に取り合っていなかったので、それがいつものことだったのだろう。

別の時は、隣に男性の患者さんが注射を受けるとのことで、医師が呼ばれたことがあった。それが主治医ではない医師らしく、看護師と医師の間で、どこに注射をするとか、どの薬剤を注射するとか、それは在庫がないとか、聞いているだけで気になって気になって気になって。
しかも、その患者さんも話がおぼつかないところがあって、なかなからちがあかない。
そんな会話の末に、いよいよお尻に注射をしようということになり、「ちくっとしますよー」という声かけに、私まで緊張して息を止めて身構えてしまうようなこともあった。
すぐ隣のベッドというのは、それぐらいの臨場感がある。

そんな周囲が気になることもあったが、おおむね、私は点滴が始まってものの数分で寝落ちすることのほうが多い。
アレルギー反応をおさえるための抗ヒスタミン剤や、抗がん剤に含まれるビール半分ほどのアルコールが、抵抗しがたい眠気をもたらすのだ。
点滴が終わってからも、眠気や吐き気があるので、急に起きることはできない。二日酔いのような気持ち悪さがあり、ふらついたりもする。
30分から60分ぐらい、なるべく吐き気が軽くなるまで休むようにしたほうが後が楽だと、だんだんわかった。
ただ、私はなかなか起きないことと、たぶん、いびきをかいちゃうんじゃないのかなぁ。最近はいつも一番奥のベッドに案内されるようになった。

2019年のうちに2クール目の2回目までが終わった。
1クール目が終わった頃から年末にかけての2-3週間で急激に髪が抜けてしまったし、鼻血が止まらないことで困ってはいたが、午前中に抗がん剤治療を受けて午後からは職場に遊びに行けるぐらいの元気さがあった。
調子が悪いとしたら、手術の後の痛みや不調であり、どこまでが手術の影響であり、どこからが抗がん剤の影響と考えてよいのか、何度も混乱した。
仕事は基本的に休んでいたのであるが、12月はどうしても私がしなければならない業務が発生したため、何度か職場に行くことがあった。
これは、後になって、12月の分の傷病手当を申請できる日数を減らしたことがわかるのだが、この時点で、私に傷病手当という発想自体がなかった。
職場復帰について上司に何度か相談したが、年内は休むことを言われ、抗がん剤治療はそんなに甘いものではないから焦らないようにと、そのたびに諭されたものだった。

この頃、家で過ごしていた私は、なるべく毎日、散歩をするように心がけていた。
退院後に始めたことであるが、最初は1000歩ぐらいの町内を一周するところからだった。痛む下腹部を両手で抱えながら、ぽてぽてと歩いた。
10分程度でいいから外の空気を吸い、太陽にあたり、体力を落とさないようにしようと思って始めたことだ。
ルートを少しずつ変えながら、1000歩が徐々に3000歩になり、4000歩近くまで増やした。
なるべく速足で歩くようにしてから、息が上がってつらかった。走っているかのように、心拍が早くなり、途中で休むこともあった。
花の少ない季節ではあったが、外を歩いていると、鳥を見て、声を聞くことができるのもよかった。

クールとクールの間をあけずに毎週治療を受けるプランを選んでいたが、年末年始を挟んだり、医師の都合などで、必ずしも毎週同じ曜日に治療を受けるわけではなく、なんとなく10日ぐらい間があくこともあった。
最初は実感していなかったけれども、それがよかったと思う。
抗がん剤治療は途中から慣れると聞いていたけれども、薬剤も疲労も蓄積するとも聞かされた。
私は前者のイメージで復職を焦っていたが、現実としては後者だった。
徐々に赤血球が減っていき、鼻血が止まらない、動悸や息苦しさが常にあるようになり、倦怠感や吐き気に悩まされるようになっていく。
抗がん剤治療から日数が経つとわずかに改善するため、間隔があいたほうが身体的な忍容性はましになることを体験していくからだ。

とはいえ、2019年の年末最後の抗がん剤治療では、点滴の終わりがけにひどく痛みを感じた。針を抜いた後、右手首に内出血が広がった。
液漏れではないと言われても、その内出血と、そこから親指に向けてぴりぴりとした痛みがあることが、不安をもたらした。
もしも液漏れだったら。血管は大丈夫なのか。次回の治療はどうするのか。
5センチぐらいに広がった紫の斑点を見ながら迎える年末年始は、憂鬱な気分だった。
家族もそれぞれ体調不良で、特別なことはしない、静かな正月を迎えた。

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香桑
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