【展示作品公開】 詩 『不如帰の陽射し』 『海を見ていた鳥』 (lutaku 展示 『流謫』 より)
こちらは逗子文化プラザで行われた展示『流謫』内の詩『不如帰の陽射し』『海を見ていた鳥』の作品公開ページです。
展示については展示後記を、公開作品についてはリストページをご覧ください。
不如帰の陽射し
海を見ていた鳥
逗子に寄せるマーレ・ノストラム
所は神奈川県逗子市、逗子海岸。"太陽が生まれたハーフマイルビーチ"と呼ばれる南北約850mの海水浴場だ。
南側に立つ"太陽の季節碑"は、かの有名な石原慎太郎『太陽の季節』のためにファンや市の団体が、その芥川賞受賞50周年記念に完成させた文学記念碑である。
「太陽の季節ここに始まる」と綴られた石原の文字と、岡本太郎『若い太陽』のオブジェからは、江ノ島、富士山、そして沈んでゆく太陽を見ることができる。
そんな絶景を目当てに逗子海岸の南側でシャッターを構える人々は多い。
しかし、今回の僕の作品でモチーフにした話は北側だ。
逗子海岸にはもうひとつの文学記念碑がある。"不如帰の碑"だ。
徳富蘆花『不如帰』が逗子の名を広めたことはもう遠い話になってしまっているのかもしれない。
1900年出版のベストセラーを、今の20代がどうやって伝えれば良いのか。
僕は逗子の住民として当たり前のように蘆花記念公園を歩いたりしていた。(逗子海岸の花火大会だって見られる素晴らしい公園だ)
『不如帰』を「ほととぎす」あるいは「ふじょき」と読むことを、地元の名所なんかの話で何度言ったことだろう。思い起こせば、それは石原慎太郎『太陽の季節』にしても、あてもなく東京から逃げ出して逗子の旅館で過ごした伊集院静の自伝的小説『なぎさホテル』にしてもそうだった。
『不如帰』の舞台は逗子だけではない。そういった理由で、かつて逗子市と姉妹都市だった群馬県の伊香保を訪ねた小学生の頃の記憶を思い出したりすることだってある。
昼休み、教室の窓際の席でひとり本を読んでいたあの子が、徳富蘆花『不如帰』の存在を僕に教えてくれたのだ。それがどれだけ興味深く聡明だったと身に染みたのは、それから何年も何年も後のことだった。彼女は一体どれだけの文学を、あの分厚い眼鏡で楽しんでいたのだろうか。
ホトトギスは夏の鳥だ。教室に響いた鐘、夕方の町に響く鐘。今、もう逗子は海開きを終えて夏なのだ。絶景だけではない。声を聞いてほしい。
『20歳のエチュード』に書き残されていた。作者の原田統三は逗子海岸で死んだ。
僕は僕の故郷に響く声を聞きたかった。だから僕は目を閉じるために、僕も書いた。