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やたら難しい「練習曲」についての私見

楽器を練習してる人のSNS投稿で、「こんな練習曲をやってるんだけど難しい!」というような楽譜写真をときどき見かけます。例えば、この記事のタイトル画像にあるようなやつです(さっき僕が自分で適当に書きました、笑)。今日も某所で、そういうのを見かけたので、これを機に、こういう練習についての私見をメモ書きしておこうと思います。

難しい指の動きを並べたような「練習曲」をやるのはやめておくのがいいです。

もちろん、やさしすぎるぐらいの基礎練習は必要に応じてときどきやるとよいし、難しい練習曲も、無理なく練習を進められる段階になったら、やってもいいとは思います。ピアノなんかはショパンのエチュードをはじめとして、エチュード(練習曲)というタイトルの名曲はたくさんあるし、リコーダーでもそういうのは多分あると思います(僕はあまり知らないのですけど)。自分がいい曲と感じてぜひやりたいのなら、とても上達して、余裕を持って取り組める時期が来たら、そういう曲に取り組むのも悪くないのかもしれません。

僕がやめておいた方がいいと思うのは、面倒な指の動きを寄せ集めて並べたような練習曲です。弊害がある上に練習の効率も悪いです。

弊害は、そういう曲をやる過程で指にばかり意識が行き、タイミングにムラが生じていても無自覚になっていたり、あちこちに無造作なアクセントがついていたり、息が不安定なまま音程も悪かったりしてもそのまま頑張ってしまいがちな点です。気がついたら、指は相変わらず動かないけど、タイミングや音程はますます不安定な癖がついたということになりかねないです。そこまで含めて練習すればいいじゃないかと思う人もいるかもしれませんが、どんなタイミングも音程の取り方もアクセントの置き方も、どんな曲想の曲のどんなところに現れているかによって千差万別なので、それ抜きに練習するのは意味ないでしょう。

そういう難所をかき集めたような練習曲をやるのはやめて、普通に技術的に無理なくいい曲だと感じられるような曲の練習を進めて行けば、それだけで十分というのが僕の考えです。やさしいと感じるような曲でも、細部まで丁寧に練習を進めていれば、技術的に意外とむずかしい箇所は含まれます。そういうところの練習を積み重ねればいいのです。曲の途中であれば、タイミングや音程やアーティキュレーションをどうしたいかということも含んで練習できますし、その方が効率いいです。

効率については、単純な算数で考えてみましょう。難しいといっても、その要になる技術はせいぜい1秒未満の出来事に集約されます。それがでできるようになるために仮に1万回ぐらいやらないとダメだとしても、せいぜい1万秒=約3時間程度あればよいです。1週間なり数ヶ月なりの期間でそれをやるのは、仕事が忙しいアマチュアの方にとっても無理ないと思います。そんな難所が10箇所ぐらいある難曲を10曲やらないといけないとしても、1年間に300時間だったらプロにとっては十分可能なペースです。アマチュアの方でも10年ぐらいやってると、知らず知らずできてたりするかもしれないですね。

というわけで、やりたいと思う曲をやって、その中に含まれる技術的な難所をやるというのが効率高いわけです。難しい指だけ100拍分かき集めたような練習曲を1つやるには下手するとプロが難曲を10曲やるぐらいの手間がかかるかもしれないですよ。とても非効率だと思います。

以上が僕の考えですが、最初に書いたようなSNSの投稿の例では「先生が宿題に出した」のように書かれているのを見かけることもあります。僕と正反対の意見を持つ先生もたくさんいらっしゃるのでしょうね。違うご意見についても学びたいところではありますが、これからも、僕自身は、出会った曲を自分としてしっくりくるようにやれるようになるための練習をやるのみで進んでいくと思います。念のために書き加えると、そういう練習も曲の中の単純な技術要素を取り出して繰り返すということが必要になるわけですが、アマチュアの方々にも、そいういう技術要素の取り出し方に慣れていくのをお勧めしたいと思っています。

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