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「ひとつ屋根のした、グレーゾーン」1話
“普通ってなんだろう”
春のある日。幼稚園のホールでは、年中組の子どもたちによる発表会が行われていた。舞台に立つ小さな子どもたちが元気いっぱいに歌を歌い、親たちはスマートフォンを片手にその姿を撮影している。
その中で、彩音(25歳)は少し緊張した面持ちで座っていた。5歳の息子、翔(しょう)が舞台にいるが、他の子と比べると微妙に動きがズレている。歌のテンポを合わせることができず、一人だけリズムを取らずに腕を大きく振っていた。
周囲の親たちの視線が気になる。
「翔くん、ちょっとズレてるね。」 「いつもあんな感じなのかしら?」
ひそひそと聞こえてくる声が、彩音の胸に突き刺さる。
舞台が終わり、子どもたちが保護者の元へ戻ると、翔は満面の笑みで彩音に駆け寄った。
「ママ!ぼく、楽しかったよ!」
その無邪気な笑顔を見て、彩音はハッとする。
(私が勝手に気にしていただけ。翔は翔なりに頑張っているんだ…)
しかし、その笑顔を見ても、心のどこかで「普通」という言葉が頭をよぎる。
夜、家に帰ると、夫の直人(22歳)はテレビゲームをしながらリビングのソファに寝転がっていた。
「翔の発表会、どうだった?」
直人は画面から目を離さずに軽く聞いてくる。
「うん…、まあ、それなりに。でもさ…」
彩音は迷いながら、今日の出来事を話そうとする。しかし、直人の反応は予想通りだった。
「別にいいじゃん。子どもなんてみんなそんなもんだろ。」
その言葉に、彩音の中で何かが引っかかった。
「直人は分かってないの…翔が他の子と違うかもしれないってこと、全然…」
「違うって言ったって、別に困ってないだろ?それに普通じゃないって何?子どもなんてさ、みんな個性あるんだよ。」
直人の気軽な言葉に、彩音は反論する気力を失う。彼には悪気がないのは分かっているが、今の彩音にはその軽さがつらかった。
その夜、翔が眠った後、彩音はスマホを開き、「発達遅れ」「5歳」「グレーゾーン」などのキーワードを検索する。次々に出てくる情報に目を通しながら、自分が何を求めているのかも分からなくなる。
(翔が困っているわけじゃない…でも、私が不安なんだ。)
泣きそうになりながらも、彩音は翔の寝顔を見にいく。小さな手を握ると、翔が小さな声で夢の中で話す。
「ママ…楽しかったよ…」
その瞬間、彩音の中に小さな安堵が広がる。
(普通なんて関係ない。翔が楽しんでいるなら…それでいいんだ。)
けれど、その思いを完全に信じるには、まだ時間がかかりそうだった。
第2話に続く