見出し画像

【日記】嫌いなものってアプローチを変えれば受け入れられることもあるよねって話

・嫌いな食べ物の話
    今の自分には嫌いな食べ物はありません。めちゃくちゃ辛い食べ物はあまり好まないので、積極的には食べようとはしませんが、それが美味しいものであれば「辛い辛いと」言いながら食べることができるので、嫌いではないです。

    子供の頃は蕎麦が嫌いでした。ただし、給食で蕎麦が出ることはなかったし、我が家でも基本的には蕎麦が出てくることもなく、外食だと自分の食べたいメニューを選べるので、無理矢理食べさせられる機会もなく、蕎麦が嫌いで困ったことありませんでした。年越しそばも自分だけ特別にうどんを用意してもらっていました。

    それがどうして嫌いでなくなったかというと、きっかけは大学1年の時でした。ある日、大人達と一緒の食事会へ出席する機会があり、その時選ばれたのが蕎麦が美味しい店で、全員が同じコース料理を食べるよう手配されていました。
    自分は蕎麦が苦手なんだと言おうか少し迷いましたが、我慢して口に入れれば済む話で、敢えて嫌いだと言って空気を悪くする必要は無いと考え、黙って食べました。
    最後に食べたのがいつだったか思い出せないほどの久しぶりの蕎麦でした。結果としてその蕎麦のおかげで蕎麦が嫌いではなくなりました。美味しかったのです。一口食べた瞬間からこれは美味しいと感じたのです。

    美味しい蕎麦を食べたおかげで、蕎麦という食べ物の食べ方が分かったのでしょう。その後も、コンビニのざる蕎麦、普通の蕎麦屋のそば、スーパーの袋麺なんかにも挑戦して、どれも食べ切ることが出来ました。完全に克服したわけです。

めでたし、めでたし


・Vtuberの話
    自分は以前はVtuberに全く興味がありませんでした。キズナアイとか輝夜月、のじゃおじが話題になっていた時にVtuberという概念を初めて知りました。当時、バーチャルなYouTuberという文字に少しSF心をくすぐられましたが、結局、絵が動くだけで、やってることはYouTuberのようだったのでスンとなってしまいました。私はYouTuberにも懐疑的で、どうして喋るのがもっと上手いプロが大勢いるのに、素人の喋りを聞きたがるのかと思っていました。

    オーストラリアへ行く時、英語に慣れるために英語圏のVtuberであるIronmouse(アイアンマウス)の動画を見始めました。
    どうして日本のVは見ることが出来ないのに、英語のVは見ることが出来たのか。それは僕が英語が分からないからです。正確にいうと、僕は日本語が分かりすぎるからです。
    日本語だとそのVの話の上手い下手が分かるし、流れるチャットも目に入るだけで全て読めてしまい、それらがノイズとなってしまいます。
    しかし英語だと、話の内容は理解できても、話し方の良し悪し、話題選びの良し悪しの判断まではできません。また他の誰かと比較をすることも出来ない。だって英語話者の話が上手い人を僕は知らないのだから。チャットにしても、目が滑るので、敢えて読もうとしないと理解できず、大半を無視することが出来ます。

    最初に触れたのがIronmouseだったのも良かったです。彼女は免疫系の病気を患っており、昔は歩くことすらままならなかったそうです。そんな彼女がVtuberの技術を使って人前に出て喋ったり表現ができることにロマンを感じました。また、3Dモデルを使ってアイドルのようなコンサートを開催したのを観た時は、バーチャルの技術はこのためにあったのかと感動さえしました。(日本のホロライブとかだともっと前から普通にやっていることだったのは後で知った)

    IronmouseでVtuberというものに慣れ親しんだ後は、喋り方や活動内容がより自分に合っているドイツ人の個人Vtuber shirahiko(しらひこ)を追いかけるようになりました。またMori Calliope(森 カリオペ)でホロライブへの忌避感も払拭することに成功しました。
    この間、そんなホロライブがJP(日本)もEN(英語圏)もID(インドネシア)も合同でGTAというゲームをやっていて、僕はカリオペのチャンネルから視聴していました。英語だけでなく、苦手な日本語も多く聞こえてきましたが、英語話者と日本語話者がお互い気を遣い合ってコミュニケーションをとっているのを見てたら、日本のVもそんなに悪いものではないのかもなという気持ちになりました。

めでたし、めでたし


ではまた明日。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?