短編 | 知らない人の墓参り
9月のおしまいの日に、私は知らない人の墓へ行く。
ついぞさよならをできなかった、またねの約束が叶わなかった冷たい人の墓へ行く。
彼は不思議な人であった。
大変思慮深く聡明で、茶目っ気のある人であった。
だがその一方で非常に繊細で不器用な一面を持っていた。
我々は学生の頃に出会った。
たまたまサークルが一緒であり、気が合う面があったためそれなりに仲良くしていた。サークル活動の一環で休日に行動を共にすることもあった。
当時の私は少々偏屈な人間で、人間嫌いでありコミュニケーションが上手とはいえなかった。それでもなぜか波長が合うというか、彼の思考回路はなんとなくわたしのそれと似通っている気がして、サークル仲間の中でも珍しく懐いていた。
おそらく彼もそう感じていたのだろう、私に対しては多少ラフな振る舞いを見せていたように思う。
ただ、我々は共に過ごす時間の割にはあまり話をしなかった。なんとなく互いの中身がわかるので、話す必要もなかったのかもしれない。
共に過ごすうちに、私は彼の不器用さが気にかかるようになった。常に理想に生きようとする彼は、自分自身の首を締めているように感じられた(唐突な余談ではあるが、私はなぜか彼に首を絞められたことがある。締めやすい形をしているのかもしれない)。
なんとなく嫌な予感を持ったまま、我々はサークルを卒業し疎遠になっていった。
とはいえ、それでも時々は茶飲み友達として会っていた。彼は生き生きとしており、我々はいつもまたねと言って別れた。長い間会わなくとも、その約束は有効であった。
だから、私はまたねという言葉の危うさを見失っていたのだろう。
ある時たまたま道で出くわした彼は花束を持っていた。赤い薔薇の花束である。聞けば彼の会社の送別会だという。花の色に対して、彼の顔色はやや青白かったが、表情はいつも通り柔らかかった。
元気そうでよかった、と言うと彼は顔を曇らせた。実はそうでもないのだと首を振った。聞けば少し前から患っているという。顔色はそのせいであったか。
彼の病はよくあるものではあったが、決して侮れないものであった。一旦休職をするのかと思ったが、すぐ次の会社に移るようだ。
私はまた嫌な予感がして、別れ際に、また用がなくても会おうと声をかけた。
9月のおしまいの日であった。
それが彼を見た最後の日だった。
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葬式には出られなかった。
後に参加した彼を偲ぶ会では、彼と関わりを持っていた様々な人が彼との思い出を語っていた。知らないエピソードがたくさん出てきて、私やサークルの友人は驚いた。学業のこと、会社での立派な業績、彼の趣味の話。
思えば、私はサークルにいる時の彼しか知らない。
あまり言葉も交わさなかった。
私はなんだか知らない人を偲ぶ会に来ているような不思議な気持ちになった。ここで見送られているのは、私の知る彼であってそうはないのかもしれない。
ただ、私の知る彼のことを他の人は知らない。それもまた確かだった。
その日から私は、人を知るとは何かを考えるようになった。実は誰も知っている人などいないのではないか?そもそも自分のことだって思っている以上に分かっていないのではないか?
そしてまた、再会の約束が果たされなかったことを嘆いた。
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そうこうするうちに、いつのまにか数年がたった。
私はようやく気持ちを整理して、ふと彼の墓参りをしていないことに気がついた。
彼は活動的で人気者だったから、きっとまだ多くの人の記憶に残っているに違いない。そこには私の知らない彼の一面やエピソードがあるのだろう。
それはきっと誰しも同じで、私にもきっと人の知らない一面やエピソードがある。
私たちはおそらく、そういった小さな秘密を方々に残したままこの世を去ってゆくのだ。
そんな話を友人にしてみるとそんなのは寂しい、と言っていた。
それでも構わない。
別に自分や他人が知らない一面があったとして何が問題であろうか?我々はただ秘密を抱えていくだけだ。
むしろ私は人間のその秘密をこそ愛そうと思う。彼が私にとって知らない人間だったのを受け入れたように、他の人とも付き合おう。
ついでに、別れを告げるとき、もしまたねと言ったならきちんとその言葉を回収しよう。
私はあの時またね、と言った。
だから9月のおしまいの日に、知らない彼の墓へ行く。いつかの日の赤い薔薇の花束を持って。
こうして彼のことを考えていることも、墓参りにいくことも、全ては私の愛すべき秘密である。