短編|体内時計
「ほらほら、起きて!全く、何年たったら自分で起きられるようになるの!休日だからって気を抜かないで!」
姉の不機嫌な声と、体を揺さぶられる感覚。目をうっすら開けると、窓の外から陽光が差し込んでいる。昼だ。
「おはよう……」
私はもごもごと返答した。起きるのは苦手だ。頭がぼんやりしている。体がだるく、重い。特に胃のあたりにずしりとした重みを感じる。布団から這い出るようにして抜け出て、冷たいフローリングの床に転がる。
「床で寝ないで!脂が付いたら掃除が大変なんだから」
「うん……」
朝から残量が少ない体力を振り絞って、なんとか体を起こし、手近にあった椅子にどっかりと座る。
「朝ごはんはテーブルに置いておいたから」
見ると、白い平皿にベーコンと目玉焼きが乗っている。少し冷めかけのようだ。胃のあたりがまた重くなる。
「食欲ないんだ……」
「最近毎日ずっとそうじゃない。食べないと体がもたないよ」
姉は自分のためにコーヒーを準備しつつ、眉をひそめる。そうはいっても胃がもたれているのだ。どうしようもない
「そうだね……」
力なく返事をする私に、姉はコーヒーも差し出す。飲み物くらいなら入るかな。
「マキタさん、ようやく病院から出られることになったみたいよ。あんたニートなんだからやることもないでしょ。小さいときからお世話になってるんだし、お見舞いくらい行きなさいよ。それにしても早く犯人が捕まればいいんだけどね……怖いなあ」
「マキタ……?ああ、あの時の。朝はちゃんと起きられているのかな」
マキタというのは古くからの隣家の住人で、中年の時計コレクターでもある。腹がぽっこり出ていてだらしないのに、時間に正確な人間で、毎日決まった時間に起き、決まった時間に出勤し、決まった時間に帰宅して寝ている。私が小さいころからずっと変わらない。
最近、この地域には強盗が多い。
この間、マキタが寝ている時に時計を盗んだ。さらにマキタが運悪く起きてしまったため、ハンマーで殴った。幸いにもマキタの命には別状がなかったが、しばらく入院することになった。
犯人は背が高い男だ、とマキタは主張している。
「さあ、どうかしら…?まああんたと違って時間に正確なマキタさんのことだから、入院しても変わらないんじゃない?」
「ふうん。そういうものか。私だって今は体内時計があるから、早起きできるはずなんだけど……なんで失敗したのかな」
「はあ?あんたの体内時計なんてポンコツじゃない。いい迷惑だわ。なにより父さんにも母さんも心配してるんだよ。本当いい加減自分でどうにかしてよ」
私は昔から朝が弱い。小中高と学校の遅刻回数は断トツであったし、大学時代は朝の講義に出席できず留年もした。会社に入ってからも遅刻を繰り返し、退職を数回繰り返した。今は求職中の身で、貯金を切り崩しながら姉と両親とで実家に住んでいる。
「体内時計はあるんだって……でも危険だから電池を入れるわけにはいかないし」
「はあ?電池の入ってない時計なんてただのガラクタじゃない」
「だって電池は有害らしいし、死にたいわけじゃないし……」
「何わけわからないこと言ってるの?働けなくて食ってけなかったら人は死ぬのよ!ぐだぐだ言わないでさっさと就職して出てって」
姉はピリピリしているが、なんだかんだと世話焼きである。言っていることはもっともだ。私は社会人失格だし、朝や職のことを考えるのは憂鬱だ。あたまがぼんやりとして、冷水をかけられたかのように体が冷えて手が震え、風景が真っ白になる。
時間に狂いなく生きられたなら。
「なんでそんな白い顔を……そういえばここのところあんたお腹出てきたね」
姉が少しだけ心配そうに言う。
「マキタさんがそうだからそうした」
「どういうこと?」
私はもう聞いていなかった。ふむ。電池が入っていないから、か。腹に手をやる。この間ズシリと増えた金属隗の感触。姉がいうように腹が膨れている気がする。消化してしまったら、また追加で入れないとなあ。
ふと私は思いついた。あいつの腹の中の時計は、そもそも特殊な電池不要のつくりなのではないか?そしてそれを腹以外の箇所、たとえば頭の中にも時計を隠し持っているのではないか?
そうだ。だからあんなに時間に正確なんだ。だからハンマーで殴っても生きているんだ。なるほど、家の中にあったものは全てフェイクだったんだな。騙しやがって。腹が立つ。
家の時計はもう要らない。あいつの腹の中の時計も、頭の中の時計も、全部奪ってやる。
背が高く痩せた青年はゆっくりと立ち上がった。
「病院は……あそこか。さて、さっそくお見舞いに行ってみようじゃないか」