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#32 子どもが教えてくれること

■子どもは教えてくれない


よく「子どもに教えられたなぁ」と言うが、
子どもが言葉を駆使して、あるいは体系立てて、
丁寧に説明してくれる訳じゃない。

僕も娘から学ぶことはよくあるけれど、
それはつまり、大人の僕が、
一方的に何かを「感じ取っている」に過ぎない。


大人の側に「学ぶ視点」がないと、
自分にないものを他者から「教わる姿勢」を持たないと、
子どもに教えてもらうことはできない。

なぜなら、子ども本人には
「教えているつもり」などないのだから。




学びを得るために必要なのは、
僕自身の「感じ取る力」だ。

そのために、相手をよく見て、ちゃんと聞く。
自分の「大人のものさし」は一旦横に置いて、
否定せず、まず受け止めることに注力する。


「自分の方が上」とか「親が正しい」だなんて
思い込みをしていたら、
学べるはずのものも 学べない。


■失くしたものを、拾い直す


娘から教わることは多い。

でもそれは、知識や経験ではない。
まだ数年しか生きていない娘が、
僕より多くの知識と経験を持っている筈がない。


教わるのは もっと別のもの。
例えば「価値観」だ。

そして、教わることの多くは、
「初めて知ること」ではなく、
「忘れてしまっていたこと」だと思う。


かつて自分も子どもだった頃があって、
その頃には持っていたんだろうけど、
大人になるにつれて失くしてしまった価値観。

それを今、娘と一緒に拾い直している。

子どもは、
失くしたものを、失くしてたことを教えてくれる。
忘れたものを 思い出させてくれるのだ。



だから今 僕は「復習をしている」ということだ。
もう記憶の中にカケラも残っていないので
全くピンと来ないけれど。


当時は
「自分が持っているものの価値」に無自覚で、
自分の感覚や頭の中を 分析することも、
言語化することもできなかった。
当時と違うのは、
今はその能力が上がっているということ。
(強くてニューゲームに近いのかもしれない。笑)

良いものに触れたとき、その良さが何なのか、
今なら少しは分かるようになったから、
それを「子どもっぽい」の一言で
切り捨てる大人にはなりたくはない。


娘のことは、他者として 客観的に見れるので、
より分析がしやすく、消化吸収もしやすい。
娘を通して、感情を追体験することで、
僕も子ども時代からやり直している感覚になる。


■人生2周目


なんとなく、
「僕は過去に一度死んだのだ」という気がしてる。
これは言うまでもなく 比喩なのだけど、
昔がどうだったのか 思い出せないくらいに
自分の価値観や考え方が変わった感覚がある。

ここ数年は「人生をやり直してる」感覚

そして、生まれ変わったであろう地点に、
娘がいたのは間違いない。



娘はときどき、僕のことを
「わたしと同じ5歳」だと言ったりするけど、
あながち間違ってないのかも。笑


身体は生まれ変わってないので、
傷跡は残るし、順調に不具合も出てきてはいるが、
ただ老いて、このまま退場していくなんて
面白くない。


人生2周目。強くてニューゲーム。


一度は失くしたものを、拾い直して、
また集める。それで何度でもやり直せる気がする。
初心を思い出すことは、
大人の僕にとって 大きな癒しにもなっている。

今度は、親とじゃなくて、娘と一緒に成長する。



1周目よりは 多少余裕をもって進めるだろうか?

2周目だからといって 簡単ではないと思うけど、
そうだといいな。



おわり。

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