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#23 車の運転も同じだなぁと思ったこと②
前回からのつづき。
車の喩えがどんだけ腑に落ちたんや!
という感じですが、
頭がそれモードになってるうちに、
思考をもこもこ膨らませておこうと思います。
【空気を読む】意思疎通が難しい
車の運転を苦手に感じる要因のひとつに、
意思疎通がうまく取れないことがある。
車内にいるドライバーの「顔」は見えにくく、
表情まではなかなか読み取れない。
更に 言葉によるコミュニケーションも不可能だ。
「あの車はどうしようとしてるのか?」
「行きたいの?待ってくれてるの?」
少ない情報から相手の意図を汲み取る、
「空気を読む力」がより必要とされる気がする。
同時に、こちらも
「止まるよ」とか、「曲がりたいよ」とか、
自分の意志をできるだけ明確に示したいものだ。
煽りと取られかねない運転も やらないように。
間違いが起こらないような行動・配慮も求められると思ってる。
それでも、かなり言葉足らずなのは否めない。
【喩える】顔が見えないのは、ネット社会に似てる
意思疎通が難しい一方で、
相手の顔が見えない分、強気になったり、
ハンドルを握ると性格が変わる人もいる。
そこは「ネット社会」とよく似てるなと思う。
どうしても、独りよがりが強くなる。
強気になって大胆に行動する人もいれば、
逆に、「どう思われてるのだろうか?」と
気にする人は、めちゃくちゃ気にする。
「もしかして後ろの車にイライラされてる?」
と思い始めると、全部がそう思えてくる。
もうキリがない。けど、確認しようもない…。
意思疎通が難しい故に 勘違いが起こりやすく、
それを怖れて疑心暗鬼になれば、
余計にコミュニケーションのハードルが上がる。
難易度の高さが、更に難易度を上げる、悪循環。
SNSはやらなくても問題ないけど、
車の場合、そんなに簡単にはやめられない。
前回の投稿で、「社会」を運転で喩えたけれど、
社会で生きるのだって、やめることはできない。
だからうまく付き合っていかねばならない。
【苦手】車社会でコミュ障になる
硬い文章を怖く感じるように、
「。」があると怒られてる気がするように、
言葉を使ったコミュニケーションでさえ、とても難しい。
のに、
車から出せる合図なんて、もっと分かりにくい。
ウィンカー、クラクション、
ハザードランプ、パッシング。
機械だから、そりゃ機械的だよねぇ。
昔から、いつまでたっても、変わらないよね。
同じ合図でも、
「ありがとね」なのか、
「てめぇコノヤロウ」なのか、
「お先にどうぞ」なのか、
「先に行きたい」なのか、
どういう意味か 咄嗟に分からないこともあるし、
急に出されて「なになに?」ってビックリしたり。
意味を取り違えると
事故やトラブルにもなりかねないから慎重になる。
自分が合図を出すときも、
誤解を与えたりしないかな?とか、
いちいち考えちゃったりするんだよな。
どうとでも受け取れる合図は難しい。
もう、「ヤバイ」よりやばいよ。
確実なのは、中の人へ向けてのアナログな合図だけど、
それも 小さな窓越しの 大きなジェスチャーが精一杯で、
タイミングも、すれ違う瞬間に限られる。
ただ、こっちを見てくれてるとは限らない…。
ミスって、「申し訳ない!」と思っても、
謝意を伝える方法もなく…という経験もある。
あぁ、苦手だ。
【空想と願望】合図にバリエーションがほしい
これは完全にファンタジーだけど、
かわいい音のクラクションとか、ダメなのかな?
すごく手加減して押して 音量を調節してる人いるよね?
(ビックリさせないような気遣いが優しい。)
なら、プー!以外もあって良いと思うんだよな。
ハザードランプにしても、
例えば、スマイルマークの絵だったり、
「ありがとう」を文字で表示するとか。
機械的なものだけじゃなくて、
愛嬌のあるサインがあればいいのになぁと思う。
(トラックは「バックします」って言うもんね!)
せめて、もう少し
表現の種類・選択肢が増えて欲しいなと、
時々 非現実的な空想をしたりする。
目的に応じて、強さ・柔らかさを工夫できたり、
伝わりやすさを重視した表現にするとか、
それはそれで大事だと思うよ?
ま、車同士のコミュニケーションツールなんて、
正直需要がないでしょうけどね…。
僕も積極的にコミュニケーションを取りたい訳ではないんですよ。ですけど、
難しいのに、昔ながらの方法しかないから、
それを使わざるを得ないのが嫌なんだよね…。
あるのに、使わない=ノーリアクションも悪い気がするし。
それならもう少し使いやすい方法が
発明されたりしないかなぁ、という話でした。
【車社会に学ぶ】相手を何だと捉えるか?
すれ違う対向車を、
「あの人」と捉えてる? 「あの車」と捉えてる?
どう見るか、何だと思うのか、
その解像度によって、意識は全く変わると思う。
車を「車」と捉えてる限りは、
大事なことが見えないままな気がするんだよ。
人を見てるようで 見てないという意味では、
「あそこの社員さん」とか、「最近の若者」とか、
属性からくる印象で 大きく括ってしまうのと
似てるなぁと思う。
「外見」「年齢」「性別」「〇〇世代」「人種」
「未婚・既婚」「職業」「肩書」「収入」…
人を見ずに属性でイメージしがちな僕らは、
人を見ていないからこそ、
簡単に批判・攻撃ができてしまう。
相手は「ごつい機械」ではなく、
それを運転している「ひとりの人間」であって、
自分も同じように、
機械の力を借りているだけの「ひとりの人間」だ。
それを 忘れそうになっていないだろうか?
【最後に】想像力の使いどころ
「情報が少ない」「よく知らない」だけで、
人は、より攻撃的にも、より臆病にもなる。
分からない部分を補う「想像」は、「妄想」と紙一重。
だから、丁寧に伝えよう、知ろう、とする。
だけど、完璧に伝えたり、知ることはできない。
それも理解しておく。
顔が見えないからといって
無いものだと思うのは勘違いで、
「見えないから見ようとしなくていい」は、
とても自分本位だと思う。
そういうところにこそ、想像力をうまく使いたい。
決め付けちゃうときは、
自分も「想像力を使う余裕」がないんだなぁと思ってみる。
簡単ではないと思うけど、
気をつけたいなと思っているところです。
おわり。