【随想】努力は割り算
学生時代の定期テストもほぼ一夜漬け。
若い頃は寝ないでやれば何とかなると思ってやってきた。
15年前くらいから年一回くらいのペースで登山をするようになって、考え方が変わった。
山は町と全く違う。
一つ間違うと死ぬ可能性がある。
大雪山系トムラウシ山遭難事故では登山ガイドが居ながら15人中8人が亡くなっている。
登山に行くときは最悪を想定した準備をし、2、3日前から体調を整えて臨むのが望ましい。
それでも、休み休み登り、決して無理をしない。楽しさを維持した範囲で登らないと精神的に疲れてしまうというのもある。
どう考えても日没まで下りられないペースになったこともある。そのときは途中で下山した。
このように登山を通じて、コツコツ努力することが可視化できるようになった。これは嬉しい誤算だった。
努力することとは、山の頂上をゴールだとすると、そこに至るまでの全体を把握し、各到達点までの時間を割り振る作業である。
例えそれが、たった一歩だとしてもゴールに近付いていることには間違いない。
登っている角度も0度より大きければいつかは到達する。
努力ってそういうものだと考えられるようになった。
ある意味、努力をしないといけないという意識が良い意味で薄れた。
だから、疲れたら休めば良いし、お菓子休憩をしても良い。飲み物を飲みながら歩いて良いし、飴を舐めながらでも良い。道中はとにかく、快適を優先すれば良い。暑くなってきたらすぐ脱ぐ。脱がないと快適から遠ざかるからだ。
花や景色が綺麗なら写真を撮りながら。
仕事も同じで快適な服装、快適な気分、快適な体を優先する。
これは会社側も同じ考えだろうから大いに優先したい。
道中を楽しみながらやらないと嫌になって辞めたくなる。
そして、自分のできる範囲でコツコツ進める。
仕事以外も、やりたければ少しずつで良いから進めれば良い。
よそ見しながらでも進めれば良い。
もし、到着しなかったとしても、
いつかまたやれば良い。
「失敗」という状態はそもそもない。
「保留」があるだけ。