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【随想】僕はどう生きたか
昨年「君たちはどう生きるか」というジブリ映画を観ました。
恥ずかしながら、ちょっとよく分かりませんでした。
それなりには面白かったのですが、
「天空の城ラピュタ」や「千と千尋の神隠し」のような単純に夢中になれるようなものではなかったように記憶しています。
一緒に観た子どもは「良かった」そうで、感性が鈍ってしまったのかもしれません。
話は変わりますが、
ここ最近「ひろゆき」さんのYouTube動画をラジオのように聴き流しています。
その中で、日本人として誇りを持つとか、
そういう話の流れになり、
「日本人に産まれたのは日本国籍の両親が××しただけで、本人の意思とは全く関係ない。それに誇りを持つとかいうのはどうなの」とか
「日本人というより、まずあなたが個人として何か誇れるような実績があるのか、が先ではないのか」という旨のことを言っていました。
(※あくまで、私はこう受け止めましたということです。)
振り返って考えると、
俺は何をやって来たんだろう?
と思いました。
誇れるものもないし、仕事の実績のようなものもないし、一体何者なんだ、俺は?
と思いました。
でも今こうして、快適に生きている。
実績がないのに、快適に生きている。
私は親から「真面目に勉強しないと、他人に軽く見られて惨めな思いをするぞ」なんて言われながら育ちました。
恐らく放っておいたら何もしなそうだから少し脅されたのだと思います。
確かに自分でもそういうタイプだと思います。
社会を知らない当時の私は、流石に仕事中ずっと軽蔑される人生は気分の良いものではないと思ったので、勉強に関しては平均以上になる程度には努力しました。
でも、就職して感じたのは、難しい勉強なんてあまり関係のない世界がありました。
強いて言えば、困難に直面したときに勉強で培った我慢強さ、粘り強さは役に立ったのかな。というくらいです。
正直に言って、好きなことを粘り強くやっても同じだったのかもしれないな、と思いました。
とにかく、過去は変えられない。
つまり「君たちはどう生きるか」と問われても「僕はどう生きたんだろう」というダサいアンサーソングしか歌えないということです。
だからと言って、今後「僕はこう生きました」と胸を張って歌えるようになりたい!
というのも違うような気がしています。
結局、そういう哲学的なことよりも、
日々平穏で心穏やかに生活することが僕にとって一番大切なことなので、
その代償として、軽蔑されることも受け入れてもいいのかなと思っています。
もっと精確にいうと、
軽蔑する/しないとは違う世界観で生きて行きたい。
そんな心境になりつつあります。
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
(短く纏めたいのですが、長文になってしまう…)