【周囲から発達障害かもと伝えられたら】発達障害を抱える私のnote
こんにちは、アオリイカです。
最近このnoteを読んだ友人やパートナーから
「自分も発達障害の傾向があるかもしれない」と伝えられました。
なのでそれに対する私の見解を書こうと思います。
発達障害の特性=健常者も一定程度持ち合わせている
前提言ってしまうと、発達障害を持つ人と健常者の境界線はグラデーションになっており、とても曖昧です。壁があって、隔てられているイメージではなく、ゆるやかに繋がっているのです。
つまりどういう事かと言いますと、発達障害の診断がつかないという意味で健常者であっても、発達障害の特性自体は一定程度持っているということです。
なので、私のnoteを読んだ友人たちが、
「自分も似た特徴持ってる!発達障害かも!?」となるのは自然なことかと思います。
発達障害持ちと健常者を分ける要素
では発達障害の診断が下りる人と健常者を分ける要因は何処にあるのでしょうか。
1つは特性が表面に出る頻度です。
分かりやすいのが忘れ物や無くしもの。発達障害を持つ人のそれらが起こる頻度は基本的に毎日です。傘を忘れたり、予定が入っていることを忘れたり、買い物に行くために、買うものリストを作ったのにそれを忘れる、リストを見てても買ってくることを忘れてるなど。
小さなことから大きなことまで、毎日何かしら起こります。この頻度の多さが診断基準の一つになります。
2つめは、本人が特性によって困っているかどうかです。多少特性が出たとしても、周りが適切に支援してくれていたり、キャラとして受け入れられている場合などは困りごととして本人が認識せずに生活出来てしまいます。
なのでそういった方に関しては、特性はあるが発達障害と名前は付けないということになります。
※ドクター曰く、発達障害と診断をつけることで
医療・福祉の支援に繋げる必要がある人には、ラベリングを適切にしてあげることが重要だそうです。(困りごとがあり、二次障害が見られる場合は特に)
まとめ
私のnoteが「発達障害かもしれない」と気づくきっかけになるのはプラスな影響だと認識しています。
ただ仮にそう言った特性が見られる人であっても、診断を下すことが出来るのは医師だけであり私たちが勝手にそう名付けることは出来ません。
周囲の友人やパートナーが発達障害の可能性に気づいて、その上で困っている事がある場合は、きちんと専門のメンタルクリニックに行って診断を受けることを勧めてください。(困っていなければ性格かもね!で流していいと思います)
それが1番本人のためになりますから。
それでは、また次の記事で。