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毒親でした(前編)

そう気づくまで、、
自分の価値観になんの疑いもなく生きてきました。

人と競争することが嫌い。
自由に楽しくすごしたい。
でも、認められたい。

子供を私の分身かのように、
無理のない安全なルートへと導いてきました。

裏返せば未来への不安、自信がない自分が存在しました。

娘には聴力障害があります。
2歳の夏、保育園の看護師さんから指摘。検査の結果、高度聴力障害と医師から言われました。

そこから、私の人生が狂ったといっても過言ではない、、
ですが、今では神様からの修行だったと捉えています。

娘に障害があることがわかり、かなり濃厚な親子関係、幼児期を過ごしました。
週2回療育施設に通いながら、体験を通して言葉を覚えていきました。

その甲斐あって、無事に普通小学校に就学。通級にも通いながら、順調に成長していきました。

歯車が狂いだしたのは高学年から、、

聴こえの悪い子供に苦労をかけさせたくない、転じて、、自分が苦労をしたくない。。。

中学受験をさせようと、5年生から塾に通わせました。受験勉強をするにはすでに出遅れています。
それでも、夏休み返上で夏期講習に通うなどして、がんばりました。

高校受験となると、難聴である娘の場合、英語の試験で大変だろうという先回り。。。

中高一貫校、あわよくば大学まで、、エスカレーターの学校をと考えました。

頑張った結果、
合格しました。

それで、私は大喜び。
先々安泰と油断しました。

続く。。

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