【小説】日本の仔:intermission(第21話)
【清水坂 孝】(環境省 地球温暖化対策室 室長)
宇宙エレベータの建設が終わった頃、徳永は常温核融合炉の日本国外での生産、利用を解禁した。
融合炉の設計図や特許も全て海外のデベロッパーに公開し、自由に使えるようにしたのだ。
ただし、常温核融合炉の中核を成す原子核融合部分と発電部分は、徳永が開発した装置でしか製造できなかったため、日本国内で製造され海外へ輸出された。
この部品の価格を吊り上げれば、日本に更なる貿易黒字をもたらしただろうが、徳永はほとんど利益が出ない価格を設定した。
これには日本政府から何度も価格設定の見直しを迫られたが、
「ゴウツクバリめが」
と取り合わなかった。
「もう日本の一人勝ちフェーズはしゅーりょー」
だそうだ。
確かにこれ以上世界各国から睨まれるのも得策ではないだろう。
こうして世界中のあらゆる国に徳永の常温核融合発電設備が行き渡ることになり、特にアフリカや東南アジアなど発展途上国の経済を助けることになった。
宇宙エレベータの建設を妨害した中国にも輸出をすることになったが、輸出した150ヶ国の内、最後に輸出することになった。
「このくらいの仕返しはしとかないとね」
日本国内では先の種子島宇宙センター攻撃の件で、中国への輸出に反対の声が大きく挙がったが、徳永は太っ腹だった。
ただし、解禁に際して融合炉を提供する各国に一つだけ条件を課した。
それは2016年に制定されたパリ協定に積極的に取り組み、具体的な数値目標を掲げ、新たな環境破壊行為の徹底的な取締りを行うことだった。
「ちゃんと見てっかんねー。違反したらお仕置きだんべ」
徳永は例のドローンを秘密裏に世界中に配置したらしい。
実際に環境破壊に繋がる事業を行おうとした企業は、名指しで告発され、常温核融合炉を取り上げられた。
今の状況で常温核融合炉を取り上げられるということはエネルギー調達がほぼ不可能になり、原価率の上昇から競争社会に付いていけず、企業として社会的に抹殺されることを意味していた。
こうして数年の間に全世界の原子力発電所はほとんどが廃炉になり、火力発電所も、別のプラントに作り替えられた。
しかしながら、無限の電力を得た他国の電力消費量は当然日本のように数倍に膨れ上がることになった。
そうなることをあらかじめ予想していた徳永は、東シナ海の他に4ヶ所の宇宙煙突の建設を計画していた。
建設地は、大平洋アメリカ西海岸沖、アラビア海インド沖合、ティレニア海イタリア沖合、大平洋ペルー沖合とし、宇宙エレベータとしての利権は周辺諸国で均等に分配させる協定を締結させた。
こうして、全世界からウランなどの核燃料を使用する原発、石油による火力発電所、内燃機関で走る自動車はほとんど姿を消し、温室効果ガスである二酸化炭素の排出量は激減した。
しかし、1990年頃から続いている地球温暖化については止まることはなかった。
その後徳永は海洋プラスチックごみに目を付けた。
ポイ捨てや不法投棄によって海に流れ着くプラスチックごみは年間で800万トン、数字では想像が難しいが、日本で1年間に水揚げされる漁獲量の約2倍と言うとイメージが湧くだろうか。
これらはほとんどが生分解されずに波に揉まれてマイクロプラスチックという細かい片になっていく。
マイクロプラスチックは魚が飲み込むと体内に蓄積されて行き、巡りめぐって人間へと取り込まれて行く。
すると、ヒトに何らかの悪影響があると言われているが、実際にどんな影響があるのか、詳しくは分かっていない。
何年も前から世界中でプラスチックごみを減らす運動が行われているが、日本では2020年にレジ袋が有料化されただけで、その後は何も行われていない。
結局プラスチックという、安価で軽くて壊れにくい(腐らない)便利なものから人は逃れられないのだ。
そこで、科学者たちはプラスチックを食べる細菌を作ろうとした。
元々プラスチックを食べる細菌は発見されているが、それほど食欲が旺盛とは言えず、レジ袋程度を食べきるのにも何日も掛かってしまう。
そこで、この細菌の遺伝子を操作して、もっと活発に活動する個体を生み出し、繁殖させていった。
プラスチックの主な構成物質は炭素と水素と酸素なので、分解すれば無害化でき、更に再合成することによってたんぱく質の元になるアミノ酸を作り出せるのだ。
しかし、この研究は途中で頓挫した。
なぜなら、細菌をコントロールする術がなかったから。
海水中だけで生きられるようにしても、自由に繁殖してしまったら、漁船や網など一部がプラスチックで作られているものも分解されてしまうことになる。
限定的に使うとしても、コントロールできなければ、必要なものまで分解される危険は拭いされない。
そこで、徳永はプラスチックを分解するマイクロマシンを開発することにした。
マイクロマシンとは、ゾウリムシなどの単細胞生物と同じくらいの大きさのロボットで、たんぱく質でできた分子部品が組み合わさってできている。
更に小さいロボットはナノマシンと呼ばれるが、徳永が開発したのは、ナノマシンレベルの分子部品がたくさん組み合わさって作られる非常に複雑なロボットで、レベルは低いが、視覚、聴覚、嗅覚を備え、鞭毛によって泳ぐことができた。
このマイクロマシンにプラスチックを分解する細菌を取り込み、選択的にプラスチックごみ、マイクロプラスチックに吸着して分解する機能を持たせ、不要になったら自爆コードを音として聞かせることで、細菌と一緒に死滅するというしくみで、無差別な分解を防げるようになっていた。
このマイクロマシンはプラスチックごみが堆積する海域に投入され、その海域の外側に自爆コード音源を設置することで必要なものまで分解されることを防ぐようになっていた。
分解されたプラスチックはアミノ酸に再合成され、プランクトンのエサになり、周辺は豊かな海に生まれ変わるというしくみだ。
そんな徳永に振り回され続け、地球環境改善を手伝い続けていたら、いつの間にか私は環境省の地球温暖化対策室の室長になっていた。
しかし、既に徳永がいなくなってから10年が経とうとしている。
今はどこで何をしているのだろうか。
超絶に振り回されたが、一人の科学者としては一番に尊敬している。
徳永はプラスチックごみを分解するマイクロマシンをアメリカカリフォルニア州の西海岸に散布する作業を視察している最中に行方不明になった。
あまり現地に出向くことのなかった徳永だが、アメリカ西海岸に流れ着くプラスチックごみは自身で見ておきたいということで現地に赴いたが、その後行方不明になった。
それ以来会えないままになっている。
あれほどの頭脳の持ち主だが、世間知らずなところは否めない。
誰かに拐われてしまった可能性は否定できないが、当時もSPによる警護は続いていたので、自らどこかに行ってしまった可能性が高いと結論付けられた。
当時日本政府は全力で捜索に当たったが、今になっても何も手掛かりは掴めていない。
徳永がいなくなってから振り返って考えてみると、一つだけ腑に落ちない点があった。
それは、徳永があれだけの頭脳を持ちながら、医療の分野には一切手を付けなかったことだ。
子どもの頃に一緒に常温核融合を研究していた女性が今も中枢神経麻痺で眠っていると聞いている。
なぜ徳永は彼女を助ける研究を行わなかったのだろう。
徳永が本気になれば、飄々と治してしまえるように思えるのだが...
今、私は徳永が残した地球環境改善計画を、これも徳永が残していった時子(アンドロイドバージョン)と一緒に少しずつ片付けながら徳永の帰りを待っていた。