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来し方を語りたく ④


このタイトルの記事を書き始めてから

予想されたこととはいえ
そして 最初から、
それを克服こくふくするために始めたとはいえ

封印することで
少なくとも表面上は忘れていた さまざまな事が
次々と思い出されてきて、

いわゆるフラッシュバックや
せっかく遠ざかっていた
感情のり戻しに また襲われるようになり

身体も心も石化せきかしてしまう状態におちいるので
こいつはマズイ… と
しばらくは この
『記憶のとびら』を閉じてしまっていた。

でも

実を言うと これまでにも何回か
同じこころみを繰り返してた。

そのたびに 振り出しに戻ってしまって
なかなか前に 進めなくて。

それでも結局
“これ” をやり遂げないと
ずっと同じ状態が続くだけだ と
いいかげん、 
ほんとうにさとったから、
ここnoteでそれを書こう と決めた。

プライベートな事だし
なにも他人に発表したりせず
誰にも見せないところに書き出すだけでも
自分の心は
じゅうぶんに落ち着くのでは
と思うけれど

敢えて「ここ」に書こうとするのは

たぶん私は 
誰かや 何かの 
役に立ちたいんだと思う。

何か意味のあるものを見出みいだせるのかどうか
試したいんだと思う。

さまざまな想いや 経験したことを
ただの昔の
(主にnegativeな) 記憶(の記録)で
終わらせたくない気持ちもある。

他のnoterさんたちの 
過去や 
いま向き合っている出来事をつづった 
多くの さまざまな
記事を読ませていただくなかで

向き合う内容はそれぞれ違っても
苦しんだり 悩んだりしているのは
自分だけじゃないんだ… と

励まされたり、慰められたり、
勇気づけてももらえる 
という

ネガティブな話からでも
ポジティブなものを受けとれる 
ってことを知ったから、

「私もがんばって書いてみよう」
と思えたことも、理由のひとつ。

それに実際のところ 
それらの経験の〈すべて〉を経てきたから
いまの『私』という人間が ここにいる。
(『和多志』という書き方も、とても素敵よね)

いまの私の
感性も、考え方も、
精神も、

強さも。

(幻想かもしれない。
ほんとうは強くなんかないのかもしれない。
でも 思い込んででも自分の強さを信じなかったら
切り抜けて来られなかった事は多い)

つらい経験から得られる
ポジティブな面があるなんて
その渦中かちゅうで苦しんでいる時には 
全く 想像も出来ないけれど

「あの経験が教えてくれた」


深い想いで反芻はんすうできる出来事たちは
後に自分の 大切な宝物になることもある。

だから そういった話を(も)したい。

だってもし 
いま
同じ苦しみを苦しんでいる人がいるなら、
私が得られた知恵を貸すことで
その苦しみが少しでも
小さくなるかもしれないなら、

おぼれる人に 
自分の手元にある浮き輪を 
とりあえず
急いで投げるような気持ちで
シェアしたい と思うから。

なかなか文章がまとめられなくて
全部消して 最初から書き直して、
書きながら 
嫌な思い出が 記憶の扉の向こうから 
爪を立ててい出て来て
今の感情を支配し始めて… 

を繰り返していて
時間ばかりかかっているけど、

少しずつでも 
頑張ってみようと思う。


ということで
久々の このタイトルの記事となりますが


今回は
〈フラッシュバックが起こる危険の少ない内容〉
にしよ…
と思って書いたものになります。(←ヘタレた★)

でも
言い訳ではなく 
本当に このことも

私の人生で
関心の対象や、考え方、
意識せずにおこなってしまう行動
などのベースを形成した
とても大切な一因なのは確かだから、
書いておく意義はあると思いました。


*注意*

このタイトルの記事は、
私の “来し方過去についての話” になります。
興味のない方は、
どうか時間を無駄になさいませんよう
お気をつけください(^^;)
(①~③は、マガジン〈Personaleペルソナーレ〉参照)

尚、これまでと同じように
同記事に限っては、
いただいたコメントには 感謝を込めて♡をつけるのみ 
の対応で統一します事を
どうぞあらかじめ ご了承ください。


*****


幼少期に置かれた生活環境や
慣れ親しんだものが
その後の人生に影響を与えるのは、
自明じめいだと思う。

たとえば私の場合

もちろん様々なものがあるけれど
これまで記事にしたことで言えば

5歳の時から
キリスト教の子ども礼拝(日曜学校)
に通っていた影響で

讃美歌 → 音楽好きになる
聖書 → 西洋の文化・歴史に親しむ、好きになる
とか、

よく家で いとこやきょうだいたちと
おばあちゃんが読む百人一首を
普通のカルタ遊びのようにして遊んでいたので

多くの和歌を
覚えるともなく 繰り返し聴く「音」として
まさに「歌」として
覚えていったり、

私が通っていた小学校の校歌も
教会で歌っていた讃美歌の歌詞の多くも
たまたま文語調ぶんごちょうだったから

古い日本語の 言葉の響きが
自然に 親しく耳に馴染なじみ、
いいな 好きだな
と感じるようになった。

明治初期の創立だった
その小学校の校歌はまだ
頭のすみに残っていて、


山 いかばかり 高くとも
樹木じゅもくいずば せんなけん
人 いかばかり 才あるも
教育なくば 用はさじ
……

そんな歌詞だったのを憶えている。

そういう 
古い言葉に親しみを感じる素地があったから
もう少し大きくなって
島崎藤村しまざきとうそんの詩に 初めて出会った時も、
すぐに 大好きになったのだと思う。

(古語や文語って良いですよね。
簡潔かんけつに、的確にを伝え切り、しかも美しい…
日本語の いちばん美しいかたち
だと思います♡)

こういった
〈好きになったもの〉に対しての
影響もあるけれど、

〈思わずそうしてしまう〉
〈どうもその様に考えてしまう〉
という
行動や考え方に表れる
幼少期の影響も、大きいと思う。

これは
生活環境から影響を受けた
と思うのだけど

私は 男きょうだいばかりの中の
紅一点こういってん
しかも第一子だいいっしだったので、

小さいころから 
家族や、社会生活の中での
り方〉というか
〈基本姿勢〉は 常に 自然に
「先ずは相手 じぶんは後」だった。

近所の子や いとこ達も含めて
何事も、
小さい子たち(他の人たちも)
を優先する。

自分より年上の子がいない時などは
特に気をつけて
目を配って、

小さい子たちに何か 不自由や不満がある様なら
なるべくすぐに
適切に解決してあげようとしたり

よく彼らを観察して
転んだり、怪我をする危険からも
遠ざけてあげるようにする。

私は〈お姉ちゃん〉だから、
自然とその『責務』を負う。

大人と子供ほどには年が離れていなくても

年長者が 年少者の面倒をみるのは
理にかなっていて当然だと思っていたし、
当然ゆえに 
何も不満などなかった。

知識や知恵、経験を
より多く持っている方が
それを使い

あるいは
惜しみなく分け与えて、

皆で共有するその空間も 時間も 
より良く、安心で、
心地好いものにできれば
それでいい。

(↑でも日本の家庭や社会ではみんな
同じような考えよね?)

それとは別に

これは親から特に 
「だからお前も(何かを)心掛けなさい」
などと言われたことはないのだけど

うちのご先祖様は 
父方も 母方も
士族しぞくの家系だと聞かされて

そのせいか
〈おさむらいさん〉には小さい時から
何となく 親しみを感じていた。

大人たちが観ていた大河ドラマ等でしか
その存在はよく知らなかったけど

うちのお仏壇の仏さまは
お祖父ちゃんをはじめとした 
昔のご先祖さまたちなんだよ
と教わって

お仏壇には 毎日 
おばあちゃんと一緒にお線香をあげて
手を合わせて お祈りしていたので

なんとなく

「うちの仏(ご先祖)さまは 
ドラマのお侍さんみたいに
自分の国を守るために 一生懸命
働いていたんだな。
だったら私も 自分の国を
ちゃんと守っていかないとな」

もう少し大きくなると

「でも現代では、
〈国〉って この地球そのものでもあるよね。
ということは 今はきっと
地球全体を守っていかないといけないんだな」

そんな風に思っていたし、

私の子供時代はまだ 
アメリカとソビエトに代表される 
東西冷戦下の世界情勢だったから、
軍拡ぐんかく競争や
核戦争の危機を
肌感覚で 恐いと感じていて

「地球=この世界全体が
お互い戦争をせずに
ずっと平和な世の中でいるには、
一体 どうすればいいんだろう?」

といったことを いつしか
真面目に考えるようにも なっていった。

(↑べつに笑ってもいいけど、その頃は
本当に真剣に考えてた。子供なりに)

加えて 家の最寄りの、
しょっちゅうおまいりに行く神社が 
たまたま明治の軍人さんをおまつりした神社で、

うちではその場所を 普通のご近所さんのように
「◯◯さん」と名字で呼んで、
おばあちゃんからは 昔話のように
その軍人さんの偉業いぎょうを聞かされて育ったし

家族、親戚、知り合いに
その仕事の直接の関係者は
一人もいなかったんだけど

母が 旧防衛庁OBの方の個人事務所で
事務のアルバイトをしていた関係で

家の中に『防衛白書』とか
『現代の安全保障』といった冊子が
普通に転がって(?)いたものだから

幼少期の入院生活から
そこに活字があれば読む✨という習性が
すでに根付いていた私は

小学生の頃から そんな本を
よく解らないながらも 
一生懸命に読んでいた。

でも

お侍さん もとい 軍人さんたちのことを
私は自然に

自分の命をかけて 
国や人々を守る立派な人たち
とは思っていたけど、

「そんな仕事をする人たちが
一人もいなくなる世の中の方がずっと良い」
と信じてた。

そんな仕事が必要な世界になんか
しちゃいけない って。

毎週日曜日 教会で教えられていた、

「もし、誰かがあなたの右の頬を打つなら、
ほかの頬をも向けてやりなさい」
(マタイ5:38)

「敵を愛し、迫害はくがいする者のために祈れ」
(マタイ5:44)

といった 言葉たちの印象は
とても強いものだったし、

繰り返しになるけど
家では
信心深いおばあちゃんが大切にしている仏様に
毎日 一緒に手を合わせる生活で、

家の外でも どこでも
たとえ一人も見ている人が居なくても
お天道さまが見ているから
悪いことや 卑怯ひきょうなことなど
してはいけないし、
考えるだけでも恥ずかしいことなんだ
と信じていたり

それに加えて
学校では 

当時は思いっきり 
〈昭和の学校教育〉でしたから

そりゃあもう バリッバリの
反戦
反核
反軍備
何があっても戦争放棄の絶対平和主義
憲法第9条バンザイ🙌

…な考えを強く持っていましたよ。
もうずーっと ずーっと、長いこと。

戦争中 日本は
アジア各国にヒドイことをして来た。
恥ずかしいことだ。
戦争はもうしてはいけない。
これからはつぐないもしつつ、
その国々の発展を助けて
世界に貢献していかなければならない
……

学校では そんな風に教わってた。

更にそれに加えて!
聞いてくれます?

人格形成期として大切で 多感な中学高校時代、
うちの宅配の新聞は

事実を報道するのではなく、
事実を使って
自社の主張プロパガンダかぶせた記事を書くという
ちまたで 
実は〈◯鮮◯報〉の略?とか、
どこぞの機関紙では? とまで噂される
アノ新聞だったんですけど!

ご近所の人に頼み込まれて
うっかり契約してしまった親に
罪がある訳じゃないけど…

それでも 
まだいろいろと 判断力が未熟で 
感受性の柔らかな十代の若者に
あんな新聞を 何年も読ませ続けるなんて
まったく何てことしてくれたんだ💧

私は毎日 しっかりと 
真面目に記事を読む学生だったから、
ずいぶん影響受けてた気がします…

自作自演で記事を作ったりするような
(珊瑚KY事件が有名ですね)
誠実な報道姿勢のない新聞社なのに。
(善人のフリしてるからタチが悪い…)

その新聞社で思い出したけど

かのリヒャルト・ゾルゲが
逮捕されたあと
取り調べを受けている時の供述で

「日本 (日本人?) はカニだ。
一見、強固なカラを持ち
とても手を出せないように見えても、
甲羅にひとつ 小さな穴さえ開けてしまえば
中の身をすべて 吸い尽くすことが出来る」

といった内容を 話していたらしい。
(出典憶えてないです…スミマセン)

あと
「日本人は熱心に新聞を読み、
記事に書かれている内容を信じる」
から、
「そこを抑えれば、日本人の洗脳せんのう工作は容易たやすい」
といった内容も
情報として報告されていたとか、
いないとか……

その当時は報道機関といえば
新聞くらいしかなかったのでは と思うけど

今で言えば 
TV、マスコミさえ抑えれば ということで、
実際のところ 
いま現在の日本の状況をかんがみるに、
まんまと実行されていませんかね……

これ↑はまた別の話題になるので、
ここで深くは言及しませんが。

今回の記事では 結局
何が言いたいかと申しますと

そういう
昭和時代の かたよった教育内容と情報を
さんざん吹き込まれて (ほぼ洗脳されて) 
成長してきた世代であっても

自分で調べて
自分の頭で考えることで
私は自力で ちゃんと真実に辿たどり着けたから
他のみなさんもきっと大丈夫だよ!
(その気になりさえすればね)
というお話と、

私という その辺の一般人が、
身近にその方面の直接の関係者が 
一人もいなくて
更に 
仕事でも何でもなく
何か義務を負わされている訳でもないのに

子供の頃から妙に 国防意識が強く、
「この平和な生活(国)を壊されないように」
という
危機感に突き動かされ

外交や 国際情勢、
あまり報道されない国内情勢の
事実や実態を知っておきたい

緊張感をもって情報を追ってしまうのは

一体何故だろう?と
自分でも散々考えたけど

これを勉強しなくちゃ という使命感で
『防衛白書』を読む小学生って

いま客観的に考えても 
やっぱり変だよな と思うし、

(しかも一応女の子…
ちなみに普段の愛読書は『小公女』でした。
(〃ω〃) ホントデス)

「こりゃもう、血だな…」と感じたので

この心性しんせいと 行動の要因は
士族の血筋と
冷戦下に育った という
人格形成期の社会心理の影響から
…かと思われ、

得た情報や
つちかった知識、見識などをシェアして

身近に起こり得る 危険や不都合を
なるべく避けられるよう、
(年下の子たちの
無心の行動を見ている時みたいに)
気をつけてあげるつもりで、

無自覚っぽい 多くの日本の人たちにも
もっと 
一人の大人、一人の社会人として
自分の生活 = 国
を守る意識と自覚を持って欲しい と願い、

これおかしくない?
本当にこのままでいい?
今までこれについて考えたことはある?
……

などの
問題提起や 現状の指摘のための
(えて強めの表現も用いた)
文章を書き、

読んでくれる人たち自身にも
自分の意思で 
自分の頭で
〈考えてもらうこと〉をうながそうとする、
啓発けいはつするような記事
発表して上げてしまうのは

小さい頃から 
年長者として 周りの子たちの安全を預かって
危険を回避させるために気を配る
〈責任ある行動〉を心がけてきた経験のクセ
…なのではないかと思います。

お前は人様に意見するのか とか
偉そうとか 生意気とか
一般的に 日本人にそういう心理傾向があるのは
百も承知ですが

そういう啓発系の記事については 私は 
自分がどう思われるかなんて
どうでもいい。
好かれたいと思って書いているわけじゃないから。

日本と日本人が ずっと
そしてこれからはもっと、 
幸せでいて欲しい。

日本という国の 素晴らしい文化を
これからも守っていきたい。

そのために書いてる。

だからこそ、苦言くげんていする。

いつまでお子様気分でいるつもり?
自分たちの生活、国や文化は
自分たちで守るしかないんだよ?
意図的にそれを壊されかかっているのに
本当に気づかないの?

と言いたいし、
そのためにも書いてる。

でガエル現象』というのがあって
少しずつ ゆっくりと
かっている水の温度が上げられて行くと
中のカエルは
自分の状態には ずっと気付けないまま
茹で上がってしまうのですって。

私はずっと日本にいたわけじゃなくて
10年以上外へ出ていて 戻ってきた人間だから
帰国して
日本が変だ、何かがおかしくなってる…
と気付けたんだと思う。

昔と違い 今はネットで様々な情報に触れられる。
だから自分で 疑問に思うことについて調べた。

ネットの中には 
ずっと国内に居ても ちゃんと不審な変化に気が付いて
それを警告している人たちもいたので
「あぁやっぱり」と
自分の疑問の方を疑わずに済んだり、
新しく検索するキーワードを貰えたりして
ずいぶん勉強になった。

そして 
危険に気づいていない人たちに
警鐘を鳴らしたり
とにかく何か出来ることをしないと、
この国は手遅れになる… と焦りを感じた。

ショーゲンさんとは違う意味の
「日本の人たち、お願いだから目を覚まして」を
私も 私なりに真剣に
発信している。

勝手な使命感を
滑稽こっけいに感じたり、
ご迷惑に感じる向きもおありでしょうが

もし 私のつづる言葉の端々はしばし
何がしかの 真摯しんしな誠意を感じられた時には

どうか耳を
かたむけていただければ と思います。

この記事のように 
わざわざ 自分の個人的なことを語っているのも

「どんな人間がこのような文章を書いているのか?」
を示して、

書かれている内容が信頼に値するかどうかの
判断材料にしてもらうつもり もあります。

スキなんかつけなくてもいいから、
どうかちゃんと 最後まで読んで
ご自分の頭でも 考えてもらいたいです。


たとえばこの辺の記事とか↓


もちろん 陽気で楽しいものも含め
さまざまな記事を
これからも引き続き 書いていくと思いますので


よろしくね😉♡
(Popに終わってみた♪)



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Luriha
書いたものに対するみなさまからの評価として、謹んで拝受致します。 わりと真面目に日々の食事とワイン代・・・ 美味しいワイン、どうもありがとうございます♡