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言語が司っているもの

突然ですが
日本人って、自分たちの母国語であり、
美しい文化の一つである日本語に対しての愛情が、ちょっと無さすぎじゃない?
と感じる時がある。

私自身の自戒じかいも込めて思うんだけど、

日本生まれ日本育ちの日本人で、
本当に文法的に「正しい」日本語を、
完璧に書けて、話せる(イントネーションも含めて)人って、
今の世の中、いったいどれくらいいるんだろう?

イタリアから引き上げてきて、また日本で生活するようになった当初、
TV番組の多くに字幕がつくようになっている変化に気がついて、
あぁなるほど、耳の聞こえづらい人たちに便利だな、良い変化だな、と思って見ていたら

何とも言いようのない、いろいろな違和感や間違いが目につくというか

言葉遣いや、「がにをは」(*)や、
言い回しの仕方、漢字の使い方…

字幕だけでなく、TVの中で喋る人たちの日本語も変で、
ニュースを読むアナウンサーたちの言葉遣いでさえ

なんか、おかしくない⁇

と頭が混乱して来ることがよくあった。

日本て、昔からよく
TVとか雑誌(要するにマスコミ)が創り出す、
新しい(とされる)流行り言葉や言い回しなど、
その時の一時の流行りに、

「いま面白がって楽しめればいいんだよ」
「このノリについて来れない奴は田舎者」
とばかりに

流行りを楽しんだ後、元に戻すなら
まだ良いんだけど

ただの一時の遊びや流行にあっさりと、
伝統も、歴史も、
文化の正しい継承も、
全く忘れてしまったように無視して明け渡してしまって、

多くの日本人たちはもはや
自分たちの母国語なのに、
日本語を正しく使えなくなってしまっている気がする。

この国の文化が長く歩いて来た道を見失って、自分たちが何処から来たのか、分からなくなっていやしないかと危惧きぐしてしまう。

ネットでもそういう変な日本語をよく見かけるけど、
それらが一体どこまで
単にふざけてそう言っているのか、
真面目に間違って使っているのか…
正直わからないし

日本語って
実際のところ、遊びで造語もしやすいし、
文化的許容度の高いところが裏目に出てしまって

日本人も、真面目な顔して実は遊び心に満ち満ちた人たちだから

「もはや、その言い方もアリ♪」
と、おふざけの結果をそのまま許容して市民権を与え

正しい文法や、美しい言葉遣いや話し方の方が、どんどんと
まるで毎日大量に排出される塵や廃棄物に押し流されて行くように、
今はもう跡形あとかたも無く失われてしまったかのようにすら、見える…

中学か高校の時に読んだ本で
近藤紘一さんの『サイゴンから来た妻と娘』シリーズの、どの本だったかは憶えていないんだけど

近藤さんの、ベトナム人の奥さんの連れ子であるミーユンちゃんが、
たしかもうティーンエイジャーになりかけた年の頃
ベトナムから日本に、家族で引っ越して来て
当たり前の状況として、勉強や言語の問題にぶち当たっていた描写があった。

そんな彼女を心配し将来を思いやる、彼女が通っていた東京のリセの、フランス人の校長先生が、
父親である近藤さんに話された内容が
深い愛情と、洞察と、慧眼けいがんから示された指摘に溢れていて

読んでいて
目が覚めるような、驚きを伴った気付きと、
深い感動を覚え、
今も私に、強い印象を残してくれている。

その本オリジナルがもう手元にないから正確に引用出来ないんだけど、
記憶と、〈私がそのとき得た印象と学んだ内容〉を混ぜて書くと

「ミーユンに、どの言語を自分の人生の言語とするかを、親として早く決めてあげた方が良い。
彼女はベトナム人として生まれ、日常生活ではベトナム語で育ちながら、
学校教育に於いてはフランス語で勉強し、
人格が固まり始めるこの時期に、今度は日本語の文化圏に連れて来られている。

人間は、言語を使って思考する。
言語によって物事を認識し、理解する。
言語は文化であり、それをきちんと身につけてこそ、人の精神は文化的につちかわれて行く。

けれどミーユンは今、どの言語も未発達なままで、どの言語でも深く複雑な思考が、じゅうぶんに出来ない。
彼女の年齢に比した幼さも、おそらくそこから来ている。
彼女という一人の人間のこれからを考えれば、どの言語でも良いからとにかく早く一つの言語を選び (フランス語を薦めていたような気が) 、その言語だけの環境で成長させてあげることが重要だと考える…」

実際はもっと簡潔な言葉でまとめられていたけれど、内容としてはこんな感じのことだった。

私はこのくだりを読んだとき、
人間にとって
言語がつかさどっているものが、
単に日常生活での人とのコミュニケーションだけではなく

自己のアイデンティティの根を下ろす
〈文化の土台〉であり、

この世界を理解する為の
道具ツールとして重要な役割をになうもの〉であり、

自分という人間の根幹こんかんを成す
〈思考をかたちづくるもの〉である
という認識を、持つことが出来た。

言葉はものごとの意味を、
理性で心に掴ませ、伝える。

言葉は、あなたが考えていること、感じていることを、他人ひとに伝えてくれる。

人の想いや、頭の中を流れていく、
目ではとらえられない思考は
言葉が介在してくれるからこそ、かたちを成し、
時に距離を超え
時間さえも超えて
人に伝わって行ってくれる。

言語の語彙ごいの一つ一つ、
知恵や慈愛の言葉や格言、
美しい言葉遣いなどが
ある人の内に納められ、
そのままその人の心のたねになるなら、

数多くの種がその人のなかで育ち、
花開いたとき、
文化的な多くの根から生まれ出る、その表現力は
どれほど繊細で、多様で、華やかな色彩をもつことだろう。

ミーユンちゃんが、言語能力の弱さゆえに幼稚さからのがれられずにいたとすれば
私たち現代日本人の精神が幼く見えるのもまた、同じところに根拠が求められるのではないだろうか。

言葉は日常のお遊びの道具なんかじゃない。
あまりおろそかに扱ったりしちゃいけないものだよ。
なぜならそれは、日本人や日本社会の知性を貶め、低下させる行為でもあるから。

言語は生きた人間と共に呼吸し、
自然とかたちを変えていくものでもあるけど

伝統や歴史に根差した美しさというものは、
毎日の生活の手垢てあかからは少し離して守るようにして

日常使うものとは、また別のものとして
(フォーマルな時用の服を、きちんと用意しておくみたいに)

未来の日本人たちにも
可能な限り本来の姿のまま、
大切に伝えていかなければいけない気がしている。

今を生きる私たちは、TPOに応じて、
きちんと正しい、美しい日本語で話せる能力を、手放してはいけないと思う。

型をしっかりと習得した上で崩すなら
個性も光って見えるだろうけど、
基礎に基づかない崩しは
発展途上で未熟なものにしか、
なり得ない気がする。

だから
崩しとはまた別の話だけど、

「幼稚園や小学生のうちから英語を」なんて言っている人たちには、個人的には、
「何を言ってるんだ、よく考えろ」と言いたい。
「先ずはまともな母国語を話せるよう、きちんと教えてからでしょう」と伝えたい。

外国語の歌とか詩とか、その言語の音やリズムを、音楽のように耳に馴染ませる程度なら良いと思うけど…

多くの大人たちがいま
「~という」を「~とゆう」
延々えんえんと」を「永遠と」
「せざるを得ない」を「せざるおえない」
などと書いていて、
指摘する人すらいない。
「スゴイ」と「すごい」と「凄い」は、
ニュアンスも、適した使い方も違うのに
使い分けられてもいない。

他にも
市井しせいの人々が親しみを込めて
「皇后陛下」を「皇后さま」
「○○内親王殿下ないしんのうでんか」を「○○さま」
等とお呼びするのは、まだわかるけど

言葉を生業なりわいとする人たちが
公共の場(自分たちの仕事の場)でそのような間違った言い方を書いたり、言ったりし続け、
伝統的な正しい言葉の使い方をまるで無視している姿には、
「言語のプロとしての矜持きょうじはないのか」
時には
「恥を知れ」
と言いたくなったりもする。

自分の仕事に持つべき責任感や使命感を、
どこに忘れて来てるんだ。

日本語はとても美しくて、驚くほど多彩な表現能力を有していて、
こんな素晴らしい文化であり芸術を、いくら自分たちのものだからといっておろそかに扱っているなんて

私たちいいかげん
自分たちがいかに勿体ないことをしているかや、
母国語を不当に扱うことの間違いを自覚して
日本語の正しいもちい方については、
出来る範囲でいいから、
もう少し気を遣うようにした方が、良くない?

だって、きれいなものが消えて無くなってしまうのは、やっぱり悲しいことだし

今ならきっとまだ、間に合うと思うから。


…でも。
たとえばイタリアにはCruscaクルスカがあるけど、
日本語にもそういう機関てあったっけ?

正しい日本語、どこでお手本見つけられるんだろ…
😢


(*)正確には「てにをは」ですが、個人的にはそちらの方に違和感があるので(「〜が〜を」の助詞の話なのに「〜て」⁇)、
敢えて『日本語を正しく使っていない例』として残しておきます♫ \(ー ー;)オイ★


⭐︎追記
「幼稚園や小学生のうちから〜」と書いた部分は、日本人家族が日本で行おうとする、いわゆる「詰め込み教育」への意見です。
自分で読み返してみて、バイリンガルのご家庭に生まれたお子さんたちやご両親に、誤解を与えていないか心配になりましたので、追記いたします。

その言語の文化を持つ人(父母、親戚、祖父母)がちゃんと身近に存在し、生活の中でのお祝いごとや、挨拶の仕方、礼儀作法などと共に、愛情を受けながら二つの言語・文化を学べるのが、理想的なバイリンガル教育だと思うんです。
けれど両親が日本人で、英語圏の文化のない「根無し」の環境下の教室で、ただ「習得しなさい」と勉学的な目的で、小さな子供に外国語を学ばせるのは、彼らにとって圧力のある負担にしかならないのでは… と思い、その意味で書きました。

⭐︎追記2
皇室の方々の話される日本語が、正しく美しい日本語なのでは。
という御指摘をいただきました。
成程!と思いましたので、ここでシェアさせてください。
(詳しくはコメント欄をどうぞ♪)
ISSAさん、どうもありがとうございます。🙏


書いたものに対するみなさまからの評価として、謹んで拝受致します。 わりと真面目に日々の食事とワイン代・・・ 美味しいワイン、どうもありがとうございます♡