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太陽はひとつ

今年も、港で初日の出を見た。

夫が、どこで初日を見るか迷っていたので、
「いっしょに行く?」ときいたら、
「行く」というので、初めてふたりで行くことになった。

港までは、地下鉄で一時間足らず。
5時半に家を出れば余裕で間に合う。そう教えてあげたのに、せっかちな夫は3時半に起き出して、がさごそ始めた。わたしも、つられて起きてしまった。
「5時には出たい」
「早すぎるから」
「いい場所を探して、絵を描くための写真をとりたいんだ」
この人は、夜明け前の寒さをわかっていない。
「朝ごはんは、帰ってからね」
「わかってるよ」
「そこのバナナでも食べといて」
「そのつもりだよ」
調髪とか歯磨きとか、夫は、外出準備に人一倍時間をかける人だ。5時に出るにしても、わたしは時間を持て余し、夫の支度が整うまで氏神さまに詣でることにした。

元旦4時の神社に初詣の人影はなく、社務所も閉まっていた。白い布がかぶせるように敷かれた賽銭箱だけが、夜明け前の参拝者を歓迎してくれている。投げ入れられたお賽銭を見ると、十円玉がほとんど。みんな物価高に苦しみ、神様にまでお金をまわせないにちがいない。わたしも苦しい。だから十円玉を神様に捧げ、パンパンと柏手を打つ。
世界が平和になりますように。
物価高がなんとかなりますように。

家にもどると、夫はまだ、あれこれやっていた。予定通り5時に家を出る。門の前で、朝刊配達の人に出会い、新年のあいさつを交わした。

地下鉄は2度乗り換えた。港行きの電車では、いつもとちがうアナウンスが流れた。
「本年も、市営地下鉄をご愛顧賜わりますようお願い申し上げます」
はい、よろこんで。

地上に出ると、東の空がほの朱く染っていた。
少しでも高い所から見たいという夫とお別れして、わたしは岸壁をめざした。

岸壁では、すでにたくさんの人が、ご来光を待っていた。港の東は、海に突き出した半島の工場地帯で、水平線を見ることはできない。工場群の黒い影の上空に、ひときわ明るく照り映えた箇所がある。岸壁で待つ人たちは、みんなそこにスマホを向けている。

猫のような声で鳴きながら、カモメが飛んでいた。東の波は薔薇色に染まり、近くの波は鉛色にたゆたう。波をじっと見ていると、生きた動物の皮のようだと思う。そうか、だから波は、さんずいに皮と書くのか。われながらいい思いつきだと、ひとり悦に入る。

後ろから、父と子の話し声が聞こえる。
「むかしは、おうちがあるところも海だったんだよ。おおむかしはね」
「へえ。人間は、海を閉じ込めたの?」
ふりむくと、5年生ぐらいの男の子だった。

水平線や地平線から昇る時刻から、3分ほどおくれて、太陽は姿をあらわした。
大きくてまぶしいお日さまだった。

「さあ、そろそろ帰ろうか」
後ろの父子は、クルマで来たらしい。パパは道が混むことを心配しはじめた。
「もっと見ていたい」
「そうか。いいよ、いいよ」
やさしいパパだった。

帰りは、地下鉄駅の改札口で夫と落ち合った。彼は、陸橋の上からヤシの木を入れて写真を撮ったという。港の日の出に満足していた。

わたしは、地下鉄の車内で写真を編集し、同人誌なかまのライングループに送った。
「ステキ」「いいね」と、みんながほめてくれた。「どこの海?」ときかれたので、「地中海」と、大ウソをついた。やさしいメンバーが、「地中海に負けないぐらい映えてますね」と、返してくれた。
そう、地中海から見る太陽も、同じ太陽。
ひとつのお日さまが、世界中を照らしてくれている。

太陽はひとつ。

港の日の出

※タイトル画像は、4696a4bisさんからお借りしました。力強い太陽ですね。ありがとうございました。

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