くるくる電車旅〈幸福な家族〉
名鉄犬山線布袋駅の前に織田信長の新しい銅像が立てられたと、新聞の記事で読んだ。
信長ひとりの像ではなく、家族像だという。
これは、見に行かなければ。
よく晴れた北風の冷たい日に、犬山線の電車に乗った。平日の昼日中なのに、高校生がたくさん乗っていた。期末試験の最中なのかもしれない。それにしては、車中で勉強している子がいない。みんな明るくていいなあなんて思っているうちに、目的の駅に着いた。
布袋駅は思っていたより大きく、新しくきれいな駅だった。駅前には図書館の入った複合施設もあった。
濃尾平野のまっただ中で、あたりには山も丘もない。高層の建築物もなく、見通しがいい。田園と住宅のまち。田園都市という言葉が頭に浮かんだ。
さっそく信長の親子像を探して、駅周辺を歩いた。
銅像は、すぐにみつかった。駅前というより交番の前にあった。
このあたりは、信長の側室、吉乃さんの出生地。吉乃さんは、嫡男信忠、次男信雄、五徳姫の二男一女を生んだひとである。
銅像は、信長と吉乃さん、三人の子どもたちのファミリー像だった。
信長パパが、小さな五徳姫を抱いている。
吉乃ママが、信長パパに寄り添って立っている。まだ幼い兄たちが、両手を広げて、信長パパを見上げている。
嫡男信忠が生まれたのは、信長が23歳のときだ。銅像の大きい方の男の子は、七歳ぐらいに見える。ということは、信長パパは30歳ぐらいか。美濃攻めのために本拠地を清州城から小牧山城に移したころだ。
わたしは、信長ファミリーの会話に耳を傾けてみた。
「子どもたちよ、パパは、小牧山に新しい城をつくったぞ。さあ、みんなで引っ越しだ」
「わあい、ママとぼくたちの御殿もあるの?」
「もちろんだ!」
信長には、正室の帰蝶さんがいるけどね。
信雄が生まれた同年同月には、別の所で別の女の人から三男の信孝が生まれているけどね。
そんなこんなから目を背ければ、なんとも幸せそうな家族の像。
駅前には吉乃さんの墓所への案内図があった。歩いて行けそうだった。さいわいなことに、線路から離れていないので、方向オンチのわたしでも、迷わずに行けるだろう。
北風に身をすくめ、15分ほどあるいただろうか。田園の中に、こんもりした神社があった。小鳥がチュンチュクチュルチュルかしましく鳴いている。うっそうとした「竜神社」。鳥居の脇には、神社由来が書かかれた江南市観光協会の立看板。読むと竜神社は、『生駒氏の氏神。織田信雄の守護神』なのだという。
竜神社の向かいには、『吉乃さんの屋敷跡』があった。ここにも江南市観光協会の立看板が。
吉乃さんは、生駒氏のひとである。
生駒氏は、先祖が商いで財をなした大富豪で、
この地に広大な屋敷を構えていたという。
その一角に吉乃さんの邸があり、信長はせっせと通っていたのだ。
帰蝶さんの背後には斎藤道三の軍事力。
吉乃さんの背後には、生駒氏の財力。
権力者の結婚は政治なのだ。
説明書きを読んでいくと、吉乃さんは産後の肥立ちが悪く、29歳で亡くなったと書かれていた。これが史実とすると、吉乃さんは、五徳姫を産んで間もなく死んでしまったことになる。あの銅像のように家族5人の幸せな時間を持つ間はなかっただろう。
吉乃さんの墓所は、刈り入れが終わり、寒ざむとした冬の田の向こうに見えていた。田の周辺をぐるっとまわって行ってみた。
生駒家の菩提寺は廃寺になっており、跡地は公園になっていた。生駒家墓所は、江南市で管理され、立ち入り禁止のロープが張られていた。
駅に戻りもう一度、銅像を見た。
吉乃さんだって、覚悟はしていただろう。
戦国の世。大名の子に、平穏な人生など望めないことを。それでも、三人の子たちがたどった過酷な運命を見ずに逝ったことは、幸運だったかもしれない。
駅前の幸福な家族像は、吉乃さんが死の間際に見た夢だったのだろう。