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一時帰国で感じていること

約半年ぶりに、日本を満喫している。
日本の良さを再発見することもあれば、イギリスの良さを再確認することもある。帰英したら改めて書こうと思っている。

今日は、約1週間滞在した中で頭によぎったことを記しておこう。


家族のありがたみ、いつかくる別れ

イギリスにいても、見守りカメラがあれば遠隔から家族の様子を見たり、リアルタイムで会話を聞いたりできる。タイミングを見計らってビデオ通話をすれば、東京や大阪で離れて暮らしていた時期とほとんど変わらない感覚だ。

しかし、同じ空間でともに実体を持って過ごすことは、お互いの生命を感じる、生身に触れることができる「尊さ」を強く感じる。バーチャルでは到底敵わない。

生活する中で多少の行き違いがあっても、家族は絶対の味方でいてくれることが本当にありがたく、そして心強い。

でもいつの日か、家族との別れが来る。あと何度、顔を合わせることができるだろう、一緒にご飯を食べることができるだろう、と考えると、より一層、一時帰国での日々がなおさら尊いものになる。

誰しもが通る道、心の準備なんて中々できないが、後悔しない選択をできるようにありたい。


グローバルと日本の狭間に浮く

日本法人時代の同僚やお世話になった人が、食事会を開いてくれた(飲み会とも言う)。日本での動向や人事異動などは、イントラを通じてなんとなく見聞きしていた程度だが、1年半の期間が空くと、様々な変化が起こっていて、かくも話題に置いてきぼりになるのだなと痛感している。

内輪ネタになると、もう浦島太郎状態だ。海外駐在の人々が、本国から離れる期間が長くなればなるほど、元の組織に戻りにくくなるというのも頷ける。戻ろうと思えば戻れるだろうし、歓迎してくれるとは思うけど、キャッチアップに時間がかかりそう。

グローバルサイドに馴染もうと奮闘している今は、仕事の進め方やコミュニケーションの感覚が、日本の慣習や作法から離れてきていることを実感する。どちらにも属しているような、いないような、中途半端に浮いた根なし草状態とはこういう感覚かなと思った。


日本は過ごしやすい、でもまだ帰るタイミングではない

東京や大阪のビジネス街や繁華街、ターミナル駅を行き交う人々を眺めていると、ベースは単一民族国家なのだなとつくづく思う。もちろん、バックグラウンドはそれぞれだし、厳密には複数の民族から構成されているが、人々は規律に基づいて行動し、集団での振る舞いが得意で、なにより私自身が群衆の一人になってストレスなく溶け込める。

街は清潔で安全、スリや強盗の恐怖なく、意識を散漫にしながらでも安心して行動できる。私を悩ませる花粉や土埃も、都会には極めて少なく、呼吸がラクだ。

こんなに便利で居心地の良い国を半ば本能的かつ直感的な理由で出て、私は挑戦をしている。実際の日々は苦労と苦悩の連続だ。通勤する人々の波や満員電車に揉まれながら、むかし「いつかここじゃないどこかへ行ってみたい」と願っていたことが実現できていると気づくと、日本に帰るのはまだ先かな、と思う。


久しぶりの梅田


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