見出し画像

韓国女子と中国語

韓国女子との出会い


それは去年の12月。

コロナ期間の三年間+ビザ取得に難航した八カ月を経て、私は中国に戻ってきた。

そして新キャンパスの食堂で私の教え子である男子学生とその友達の女子学生と三人で話していた時、突然現れたのが、韓国女子のウンちゃんだ。

いきなり私たちの座っていた場所に座り、すっかりなじんで、陽気に話すと、嵐のように去っていった。

そして彼女が去った後、「あれは一体誰の友だち?」という話になったが、私を含め、全員が初対面で「あの人一体何だったんだ?」と顔を見合わせた。

そんな強烈な出会いだったが、私は何となく彼女に親近感を覚え、好感を持ったこともあり、連絡先でも交換しておけばよかったと少しだけ後悔した。

そして冬休みが終わり、新学期が始まった三月。

1年生のうち三分の一が専攻を変え、日本語専門クラスを離れた。

そして三月五日、突然、ウンちゃんから連絡が来た。

なぜ連絡先を知ってるのかと思ったが、転部した私の学生から聞いたらしい。

そして初めて会った彼女が言うには、

「冬休み、暇すぎて日本語を勉強したけど、自分一人では勉強ができなかった。そんな時に日本語科から転部してきた子と知り合った。そしてあなたの連絡先を聞いた」

ということだった。

彼女は以前旧キャンパスで韓国語の先生だったが、今は学生として多くの授業を受けている。そのうちの一つの授業で一緒になった学生が元私の学生だったというわけだ。

私は冬休みに中国人親子と一緒に暮らしていたので少しだけ会話力が上がっていた。そのため、韓国女子ウンちゃんとも以前よりも会話ができるようになっていた。

彼女は本当にマメに頻繁に毎日連絡をくれた。

「おはよう♡」
「今授業終わった♡」
「今帰り♡」
「家に帰った♡」
「今これ食べてるよ♡」

もうつきあいたての彼氏かというぐらい、朝から晩まで短いメッセージとハートマークの連打。

なぜそれほど私が好かれてるのかまったくわからないけれど、彼女は最初から私のことが好きだった。

彼女がよく言ったのは、「あなたは日本人らしくない」ということだった。

彼女は以前オーストラリアに留学していたことがあるけれど、その時のルームメイトが日本女子で、いつもおとなしくてニコニコしていて何考えてるかわからなくてお人形のようだったとのこと。ようするにそれと私が全然ちがうということだった。

これはドイツ人の友だちにも言われたことがある。
「あなたは日本人特有の気味の悪い意味のない笑いがない」と言われた。

だから好かれてるってわけでもないんだろうけど、なぜか彼女は最初から親しみがあった。

私たちはよく似ているのが、コミュ力が高いところと、一人でもガンガン行動するところと、道に迷いやすいところと、忘れっぽいところだ。

本当に双子なんじゃないかと思えるぐらい、私たちは最初から意気投合し、お互いのことが好きだった。一緒にいると楽しかった。

彼女は子どもが二人いて、旦那さんはオーストラリア留学時代に知り合った中国人で、彼の地元に嫁いできたからこんな辺鄙な田舎にいる。

平日はお姑さんの家で子ども二人を預かってもらい、土日は彼女と旦那さんの家で子どもと過ごしている。旦那さんは仕事が忙しく、彼女は学業が忙しく、平日は夜遅く帰って寝るだけの生活だという。

彼女はとにかく勉強したいという意欲があって、時間割も朝から晩までびっしりだ。私の時間割を見た彼女は「こんなに暇なら聴講でもしなよ」と私に勧めた。
別に暇なわけじゃないんだけど、やる気に満ち溢れた彼女といると私もやる気が出てきて、彼女が勧める書法のクラスに週に一度参加することにした。

お昼ごはんも私が学校に行く週四回は必ず一緒に食べていた。

教師しか入れない教師食堂というのがあり、彼女はここが大好きだ。学生は利用できないが、私と一緒に行って「元教師」と名乗ることで初めて利用できるから、いつも一緒に食べていた。

ごはんの後は日本語を勉強したりもしたが、ほとんどがおしゃべりで終わる。

彼女が驚いたのは、彼女より全然口語レベルが低い私が彼女が合格していないHSK5級だということだ。

私も彼女が4級も難しいということに驚いたけれど、私の場合読解の成績がいい。つまり読み書きができる。でも漢字を読むのが苦手な彼女は、読解の成績が悪い。その代わりリスニングは私よりも点数がいい。私はリスニングは無残。そのかわり作文はそこそこいい。

漢字がわかる日本人は試験には強い。
でも会話ができない。
私もその典型的日本人の一人だ。

だから彼女と話す時も、私は彼女より多くの単語や言い方を知っているが、なにせ私のイントネーション(中国語では一番大事)が悪くて、彼女は聞き取れないし、聞き取れても単語を知らないから、会話する時に問題が生じる。

それでも私たちはなぜかコミュニケーションがとれたし、それは会っているからというのも大きくて、文字以外の部分で相手の情報を読みとっていた。

でもやはり言葉がお互い拙いと問題も発生するわけで、そのせいで二人の間に亀裂が入ることとなる。

中国語がもたらした亀裂

4月に入ると、私は12月に怪我した足の具合が悪化し、四月一日から二週間、学校に行けなくなってしまった。

その間、なんと彼女も足を痛めた。以前手術したという膝が悪化したのだ。私が病院に行っている時、彼女もまた病院に通っていた。

なんかもうここまでくると本当に双子なんじゃないかと思う。

なるべく歩くなと病院で言われているが、新キャンパスは広い。
どうしても歩かざるを得ない。でも電動バイクは危なくて乗る気がしない。
そう思っていたけれど、私が乗る気になったのは、彼女も膝が痛いから、私が後ろに乗せてあげれば助かるんじゃないかと思ったから。

会えない二週間も彼女は私に会いたいといつも連絡してきたし、私も彼女に早く会いたくて学校に戻りたかった。

そうして学校に戻ったけれど、私たちの関係に思わぬ亀裂が入ることになる。

やっと学校に戻って再会した彼女はいつもより暗い様子だった。

聞けば、私がいない間、お姑さんが体調を崩し、平日も子どもの面倒をみなければならなかったとのこと。
でもその週は試験期間で彼女は勉強の準備もできないまま、普段は勉強もしていないちがう留学生に成績で負けたとのこと。
連日の睡眠不足と試験の成績が悪かったことで彼女は激しく落ち込んでいた。

彼女はとにかくくたびれて疲れていた。
人間疲れてると思考も鈍るし余裕もなくなる。
そして視野も狭くなるから、自分ばかりがたいへんだと思いがち。
むしろ普段お姑さんが預かってくれることに感謝する余裕もない。

また、忙しい旦那さんが手伝ってくれないから一人で二人の子どもをみることのつらさを訴えていた。
旦那さんは「おれだって働きたくない。でも三人の子ども(一人は嫁のウンちゃん)がいるから仕事をやめるわけにはいかない」と言ったらしいが、そのことも彼女は不満。

とにかく余裕がないからしかたないけど、この共稼ぎが当たり前の中国で、旦那さんもお姑さんも嫁が勉強することを許してくれているというのは稀なこと。自分が仕事を辞めたら家族が困ると思って必死になってる旦那さんが「おれだってつらい」と言うぐらい許してやればいいのにと思うけど、まあ余裕がないからしかたない。

本当は彼女だって自分は恵まれた環境にあることはわかっている。
でもそれを別な人に「あなたはいいわね」と言われたことで、「私だっていいことばかりじゃない」と、まあ嘆きモードに入っていた。

私もだまって話を聞いていたけれど、
「学生はたいへんだけど、先生はプレッシャーがないからいいよね」
「あなたもこの先旦那さんみつけて子どもを育てて見ればわかる」
と言われるのは、聞いててだんだん腹が立ってきた。

ウンちゃんは最初私に出会った時27と思っていて、そんなに若くないよと言ったら32と言われて、いずれにしても、自分より年下と思っているから、私を諭すような言い方が多い。

韓国人は年上年下の線引きがあるし、ここはちゃんと言っておこうかと、私は彼女にこう言った。

「あのね、私は実は年上なんだよ。だから姉が言うと思って聞いてほしい」

そして私は、「辛いと吐き出すのはいいけど、人を羨むのはやめようね」と言った。

でも私もこれ中国語だから、たぶん言い方がきつかったかもしれない。

なにせ中国語レベルがそれほど高くない二人なので、こういう込み入った話になると、途端に相手の意図が汲み取りにくくなる。

悪いことは重なるもので、彼女はそんなふうにボロボロの時、言葉が通じなかっただけで警察を呼ばれてたいへんなめにあったらしい。

この言葉の通じないつらさやもどかしさは私も経験しているからよくわかるので、彼女が泣き出した時は、外国人のつらさだと同情した。

しかし、その後、彼女が私に言ったのは、

「その時、中国人の旦那さんとお姑さんが来て助けてくれた。私はあなたのことを思い出した。自分は家族が助けてくれるけど、あなたは一人でこんな時どうするんだろう。そう思ったらあなたは本当にすごいよね」

私は、彼女が自分もつらかったときなのに、私のことまで考えてくれたんだなと感動してもらい泣きしたけれど、その後もずっと彼女が「ほんとあなたはすごい、すごいと思う」と連呼するから、何かだんだん憐れまれてる気になってきた。

この時彼女が使った単語は「厉害」。
「ひどい、激しい、すごい」という意味だが、「咳がひどい」とか程度にも使うし、ありえないぐらいひどいみたいに嫌味で使うこともある。

正直私はこの言葉に惑わされて、彼女の言っている意味があまりわからず、聞き返したけど、やっぱり連呼するから、同情?憐れみ?何なの?とよくわからないままモヤモヤした。

そして決定的な亀裂は、私があることで落ち込んでいた時、それを彼女にチャットで伝えても「あなたの幸せ祈っているね♡」と中国語で一言返されて終わったこと。

それに対して私は、自分がつらい時は散々感情を吐露してくるのに私がつらいときには寄り添わないのかと腹が立った。

その後、ウンちゃんはたまたま二回連続で私と昼ご飯を一緒に食べれない状況があった。
あれだけ毎日来ていた連絡も来なくなっていた。
連絡の頻度=興味や関心と思っている私は、まあ、興味なくなったんだろうなと思っていた。

そうやってこのまま会うこともなくなるのかなと思ったけど、あることをきっかけに私は彼女に連絡することになった。

そこでお互い多くの誤解があったことを知る。

中国語と批判

久しぶりに連絡した彼女は、

「大学であなたをみかけたりもしたけれど、あなたは機嫌がよくないので声をかけなかった」

とチャットしてきた。

これに対して私は

「私が機嫌が悪い原因はあなたです」

と返した。

でもその時一緒にいた学生は

「先生、その書き方は喧嘩売ってます。よくないです」

と言ってきた。

ただ私が言いたいのは、自分のことばかり考えないで人の気持ちも考えろってことなのだけれど、私が書いた中国語はとにかくひどい。

「あなたは他人の感情に無関心ですよね。だから私は気分が悪い」

「でも私もまちがっていた。多くの人は他人の事情に無関心だし、私は自分のように他人によりそう態度を求めるべきじゃない」

いや、もうこれ中国語だから、もっと攻撃的に受け取られたかも?

そして彼女が言ってきたのが

「あなたは突然毎日私を批判してくるようになった」

私の中国人の友だちもやたらと「批评」という言葉を使う。
これは日本語の「ひひょう」という意味とはちがい、批判や非難の意味。

中国人の友だちはよく「非難された」と言って泣く。
唯一いた友だちも、「いつも非難してくるから離れた」と言う。

私は、その友達は意見してくれてるだけでは?とも思ったけれど、中国人のこの友だちは耳障りのいい甘い言葉が大好きだ。

そしてウンちゃんもやはりこの「批评」を使って来て、私に対して、
「どうしてあなたはそんなに私を批判するの?」
と言ってくる。

私は批判した覚えはない。
ただ私も中国語が拙いし声が大きいし語気が強いので、そのような印象を与えてしまうのかなと思っていた。

さらにウンちゃんが書いてきたのが

「私には家族がいるし、まずは家族に関心を持たなければならない。あなたにそれがわかる?」

私はこの「わかる?」も「わからないでしょ」に捉えてしまった。
「可以(~することができる)」を使ってきたので、
「あなたに理解することができる?できないでしょうね」ともとれた。

私は「子どももいない、家庭もないあなたにはわからないでしょう」という言い方が嫌いだ。

「自由でいいよね」
「私も寝る時間がほしい」
「私の気持ちはわからない」

ああ、わからないさ!

でもわかろうとしてるし、よりそってるじゃないか。
それに逆にそれを言われる私の気持ちはわかるの?

ウンちゃんは、

「日々批判されてあなたを好きでい続けるのはむずかしい。でも私はあなたが好き。あなたを許すし全部が好き」

と書いてくる。

これも中国語だとどうもニュアンスが伝わりにくかった。

全部が好きなんてそんなわけあるかーい!と思った。

適当にお茶を濁して仲良くしようよって言ってるようにも思えて嫌だった。

でも、私が常に自分に問いかけている言葉、それは

「それが真っ赤な嘘だったら?」

人は自分というフィルターを通して世界を見ている。
主観的な価値観に支配されているところがある。

私は自分自身思い込みの激しい人間だということを知っている。
だからこそ、相手に直接本心を聞くし、誤解がないかを確かめる。

だけどそうやってとことん人と向き合おうとする私を煙たがる人もいるし、逃げる人も多い。

だけど、それでも向き合ってくれる人じゃないと付き合う価値もないと思っている。

だからもう一度向き合ってみよう。

そう思って、私は昨日、彼女にお昼ご飯を一緒に食べようと連絡した。

誤解発覚と仲直り

久しぶりにウンちゃんと教師食堂に行った。
私は「ウンちゃんを思い出すと悲しくなるから一人では来なかった」と言ったが、彼女は「自分は寂しくは思ったけれど、そんなにあなたを思い出すことはなかった」と言う。

これ、文章だとやはり「ひどい」ってなるところだけど、やはり会って話すとちがう。

「私は簡単な人間だから」

彼女はいつもそう言うけど、この時は私も言った。

「そうだね、あなたが簡単な人ってのは知ってるよ。でもそこがいいところだよ」

私たちはお互いに笑った。

そして私はご飯を食べた後、拙いながらも一つ一つ丁寧に言葉を探しながら彼女と対話した。

色んな話をした。

どうも彼女は「批评」って言葉を「非難」の意味で使ってないこともわかった。もっと軽い意味らしい。だから中国女子が「批判された!」と悲劇のヒロインモードに入ってるのとはちょっとちがって、それ以外の言い方を知らないから連呼してるだけかもしれない。

中国語はこういうことわりとあって「強迫」って単語も、日本だとなんだか深刻な印象に感じるけど、中国人はわりと軽く使ってくる。

あと「善良」って単語も。
これ、日本人なら「私は善良な市民です」みたいに身の潔白を表明する感じで使うけど、中国人は「いい人」ぐらいのニュアンスで頻繁に使う。
でも私は「先生は善良な人です」と言われても、「え、そりゃ犯罪者じゃありませんけど何か?」って感じになってしまう。
あと、何かの宗教勧誘ですか?みたいな感じ。

まあそんなわけで、単語は覚えるだけじゃなく、そのニュアンスや使い方、感覚もわかってないと、日本人の捉え方をすることで誤解が発生することも少なくない。

それを踏まえて上で、私はウンちゃんがどういう感じでその言葉を使うのか等を徹底的に観察した。

そして話しているうちに、私が中国語の拙さ以前に言葉足らずだったことにも気づかされた。

ウンちゃんは、自分の子どもの癇癪に手を焼いている話もしてくれた。
そして自分は悪い母親だと言った。

「子どもに関心がある母親は悪い母親なんかじゃない。私は母親に関心持たれなかった子どもだから」

そう言って私は自分のことも話した。
中国語の説明以前に私は彼女に言っていなかったことがある。
自分の育った家庭環境のこと、母親のこと、父親のこと、子どものこと。

ウンちゃんは心から私に謝ってきた。
でも、それと同時にどうして言ってくれなかったのかと私に言った。

私は不幸自慢はくだらないと思っている。
でもだからといって何も言わないで、勝手に気分を害してるのは、よくなかったと反省した。

言わないでわかってってことには限度があるし、ましてやお互い母国語で話しているわけじゃない。

でも、会ってる時、心から相手の話に耳を傾けて理解しようと努めれば、わかりあえることだってある。

そして何より会えば簡単にわかること。

私は彼女が好きなのだ。

それは初めて会った時からそうで、彼女は自分を簡単というが、簡単に考えた方がいいこともある。

ごちゃごちゃ考えすぎたのは私。

ただ、お互いの短所でもあり長所でもあることとして、私たちは忘れっぽい。一度誤解が解ければ、その前にあったことはもう忘れる。

私は今、中国語をもっとできるようになりたいと、毎日日記を書いている。そしてイントネーションも細かく見直している。

私にとって言語は自分の大切な人たちとわかりあうための一つのツール。
言葉に心がこもればそれは祈りになる。
どんな言語も関係ない。

言語化することで本来の気持ちが薄れることもある。
だから私は一緒にいて感じ取ったものを大切にしたい。
その上で、自分が感じたものを的確に言葉で表現して相手に伝えることができたなら、それは本当に素敵なことだと思う。

追記

書き忘れたけど、私が自分の子ども時代が嫌いなこと、いつも怒った顔をしていて、今とは全然違うことを話した時、彼女は急に思い出したと言って、ある写真を見せてくれた。

そこには中国語と桃の写真。

「あなたなら読めるでしょ?」と。

そこにはバックネットに食い込む歪んだ桃。
でもバックネットを突き破って桃は桃の形を取り戻そうとしている。

そこには、桃が歪むのは桃自身のせいではなく、環境に問題があるからだということが書いてある。
しかしその環境は桃の鍛錬にもなる。
そんなことも書いてあった。

ウンちゃんなりの励ましなんだろう。

そんな子ども時代を経験して大人になったからこそ、私はたくましく今生きていると。

直接会って、話せてよかった。

本当に、心からそう思った。













この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?