備忘
湖野に於ける結界の役割は、向こう側(湖野でいう山神の庭)との往来の制限、零念の捕獲等であり、特殊要件はないと判断。他の場所とも共通するが、強い気の流れがある場所には、それによって歪みが生じることが多いと思われる。
民話にある山神の庭の入り口に関する場所には、大小様々な結界、また、その跡と思われるものがあった。綻びが生じた場所には適宜処置を施した。あの地域で最大の結界(湖野全域にわたる)には小さな綻びもなく、非常に強靭なものであるとわかった。それにより靄状になるほど増えた零念も周囲に漏れだすことがなかったのだろう。
巫女の消滅によって空間が眠りについたのかは、道の往来が可能なうちに戻ったため確認はできなかった。ただ、空間のバランスを司る存在として宿災は不可欠という仮説は正しいように思う。
空間を繋げていた道は往来不可となり、歪みから漏れ出していた邪念は消え、その後増加はしなかった。靄状の零念の多くは、向こう側からのものであったと推測するが、巫女の邪念がどれほどの割合であったのかは不明。巫女がいうように、こちら側からあちら側に持ちこもれたものが、祓われずに戻っていた結果かもしれない。
今回初めて、混ざりもの以外の人間を向こう側から連れ帰った。どんな事情であったかわからないが、幼い身でありながら、親から離れた環境で生きてきたフキには感心する。巫女とソウヤは愛情を持って彼女に接していたものと思われる。
フキは健康に問題なく、菊谷トシの養子となり、石橋香織宅にて生活している。周囲の人間とも打ち解け、同年代の友人もできた様子。山神の庭でのことを口にすることはないとのこと。今のところ大きな問題はないが、成長過程で、あの空間でのことをどう捉えるのか、要観察とする。
菊谷トシと面会時、新たな真実を入手した。湖主ハル、菊谷トシ、山護美代は姉妹であった。湖主家に奉公していた女中に主人が手をつけた、それだけのことだとトシは語った。幼少時に真実を知った3人は、親を憎まず、むしろ絆を固くしたという。
トシは、美影に真実を伝えるつもりはないとの事。美代とトシは、その絆によって美影を守り通したのかもしれない。ハルの娘という嘘を作り上げたのも、三姉妹皆の子、という思いからかもしれない。
山護美影は、中森心一の務めを継ぎ東京にて生活。僅かながら宿災として生きることへの希望を見出している様子。現在のところ祓いは行っていない。しかし災厄とは通じている様子。今後、本人の希望があれば、技を伝授する。
鷹丸純一に調査を依頼した人物は、初めから山護美影という名を挙げていたというが、トシは鷹丸以外に美影の情報は伝えておらず、湖野の人間の中にも美代と石寄の関係を邪推するものはいない様子。
依頼主が山護美影の情報を手にする過程に、我が父の存在があったのではないかと推測する。巫女が美影の母親であったことも、美代らが虚偽の生い立ちを作り上げていたことも、父は知っていたのではないだろうか。
また、警察にソウヤの亡骸について連絡したのも父ではないだろうか。今回の出来事は、宿災が辿る末路のひとつを見せるために、父によって仕組まれたように思う。巫女の精神と肉体が滅ぶ時期を見計らい、巧妙に仕組まれたものと推測する。そこまで計算高い人間とも思えないが、可能性としてゼロではないだろう。
果て行く巫女が母だと知ったら、美影はどんな行動をとったのだろうか。真実を見極めるよう言っておきながら、一番大切な真実を隠してしまった。巫女の願いではあったが、山護美影はこれからもあの嘘を真実として生きていくのだと思うと心苦しい。機を見て謝罪し、真実を伝えたい。
また、山護美影が目に見えないものを今後どう捉えて生きていくのか、真実の境界線を見つけられる日が訪れるのか、今後も導きが必要という思いが彼女の中にあるのであれば、できる限りともにいようと思う。
湖野での体験を通し、人間と災厄の関係について改めて考えた。災厄を全て放った後に巫女が果てたことから、宿災と災厄は、人間が自然と共にあることと同様に、切り離しては生きていけないと推測される。しかし、それが真実だとすると、灯馬を災厄から解放することは困難となる。
災厄を切り離すのではなく、多くの人間が自然とともにあることを忘れているように、宿る災厄を眠らせ「離れた状態」を作ることは可能だろうか。山護美影も、巫女からの呼びかけが続いたとしても、我々が接触しなければ、生涯災厄の存在に気づくことはなかったかもしれない。
一度気づいた人間は、災厄を忘れることができるのか、その方法はあるのか、考え、見つけなければならないことは山ほどある。
誰かを導きながら、自分もまた導かれている。真実を求めることで、見つけることで生じる迷いも知った。迷いの中で見つけた答えが、その時の最適解なのだと信じる他ない。続く道程は長い。迷った時には省みて、悔いずに、前に進む。
以上、湖野での体験に基づき、槙久遠記す。
《 宿災備忘録 発 ― 終 》
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