ひのき舞台は探偵と一緒に:9.舞台袖(下手)
「タッキー……タッキー?」
「……はい?」
「ごめん、寝てた?」
「うわ、いつの間に……すみません」
「いいのいいの。もうすぐ着くから、ツムさん起こしてくれる? ほら、メガネここから出して」
「はい」
緑子に促されるまま、小物入れからメガネを取り出す。パワーウィンドウの向こうは、いつの間にか見覚えのある景色に。
「ツムさん……ツムさん、着きますよ」
「…………彩菜ちゃん、いる?」
「はい、います」
モソモソと両目をこする紡。開いた目をすぼめ、ボーっと数秒宙を眺めた後、グンッと顔を彩菜に向ける。
「見えない……見えないよォ! 彩菜ちゃん、どこ!」
「ここ! 私はここでメガネはここです!」
サクッと紡の顔にメガネを装着させ、肩を押さえて間を確保。変に速まった鼓動を悟られたくない。
「ああ……良かった。ちゃんといるね」
黒縁メガネを定位置に直し、シートにもたれる紡。その横顔は優しい。カーブを曲がりながら、緑子も声を上げる。
「ほらあ、明も起きなさいよね」
「……おう。つーか寝てねえし」
と言いつつ、明は瞼を開かない。緑子の左手が明の右耳に伸びる。摘み上げたのはリング型のピアス。
「いってえっ!……緑子てめえ」
「なあに? 無事に家に帰れたのは誰のおかげかしら? 横でグーグーグーグー寝ちゃってさ……確か自動車の免許持ってたわよねぇ。自転車の免許だっけ?」
「お、おう、スマン……明日、車洗っとく」
「ウォッシャー液補充しといてね。あと窓も拭いといてくれるかしら?」
「かしこまり……」
前方で繰り広げられるやり取りに、彩菜は思わず噴き出した。それに反応した明が高速で振り返る。
「おタキ! 明日、窓拭き手伝えよな」
「あ、はい……」
クスクスと紡の笑いが車内に広がる。緑子は呆れ半分にため息を漏らしながら、軽ワゴンを一発で駐車位置に滑り込ませた。
「はい到着。あーーー、疲れたっ」
「あ、あの……ありがとうございました。迎えに来てくれて」
「お前、今更かよ……」
言い捨てて明はドアを開け放った。緑子はシートから背中を離し、くるりと振り返る。
「お帰り。タッキー」
満面の笑み。暗い車内にヒマワリのような明るさを残して、緑子は運転席を去る。
「ほら、僕らも降りよう。ロックされちゃうよ」
紡に促され、彩菜も外に。今夜は風に涼しさを感じる。
「空気が秋っぽくなってきたねえ……彩菜ちゃんがきて、まだひとつきも経ってないのに、何だかずーっと一緒に暮らしてるみたいな気持ち」
まだひとつき
それなのに、ここを家と呼んで良いのだろうか。彩菜は足を止めてしまった。
「彩菜ちゃん?……どうしたの? 行こう」
「ツムさん……私、ここにいても、いいんでしょうか?」
「なあに? せっかく帰ってきたのに」
「だって役に立ってないし……みんなに迷惑かけちゃったし」
「役に立つとか迷惑かけるとか関係ないよ。家族なんだから」
「え?」
「おとーさんは、家族が増えるって僕らに言ったんだよ。彩菜ちゃんは探偵助手で、仲間で、九乃の家族なんだ……だから、おかえりなさい」
家族。探偵事務所なのに、ここは家。そして、社員は家族。
(……変なの……でも、いっか)
紡の手が彩菜に伸びる。不思議なことに、彩菜は自然とその手をとった。ぎゅっと伝わる、紡の体温。
「ああっ……気持ちいい手触り! 本物の彩菜ちゃんの手だっ!」
やめろや変態
その言葉を、今日は言わずにおこう。
明の作業場から明かりが漏れ出す。二階の事務所兼リビングの窓にも明かり。カーテンの隙間から緑子が覗いている。超のつく笑顔で。
シャッターが僅かに持ち上がり、明の顔が地面すれすれに現れる。
「まだそこにいたのかよ。早く入れよ鍵閉めるから」
「入ろう、明に締め出されるなんて真っ平ごめん!」
脚を加速させた紡に引っ張られ、一気に階段を上る。バタン。背後で閉じるドア。言い損ねた言葉。何だか照れくさくて言いにくい。階段を駆け上る足音に紛れ込ませる。
「……ただいま、帰りました」
「おかえり」
紡の小さな声に、スマートフォンのバイブ音が重なる。ポケットに手を。画面を確認。差出人の名は表示されず、代わりにアドレスの始まりが数文字。
S-Kyuno
(九乃! おとーさん!?)
アルファベットの並びに心臓を叩かれ、彩菜は細かく震え出した指先で、画面をタップした。
【ひのき舞台は探偵と一緒に:10.幕間】に続く