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Transparent cloud – 9③

「読んでる?」

ビクリと持ち上がったモモの肩。
顔は反射で音の方向へ。ドアにもたれた瞳の姿。
モモはノートを閉じ、太ももの上に置いた。
自分の心音が遠ざかる程、集中していた。瞳がいつ戻って来たのかもわからない。
両手で盆を持った瞳。
盆の上には、柔らかな湯気を携えたマグカップが2つ。
瞳は体を真っ直ぐに戻し、机に向かって歩いた。
盆を机の上に。
マグカップをひとつ、両手の平で包み込んでモモの目の前に運ぶ。

「はい。スティックシュガー2本入れといた。糖分摂ったほうがいいわよ。頭にも心にも。ね?」

半ば強引にモモの手にカップを持たせ、瞳は机の前に戻り、椅子に腰を下ろした。5無言のまま、瞳の動きを見据えるモモ。
瞳はモモを気にかける様子もなく、大きな欠伸を披露した後、マグカップに口元を寄せた。その仕草に触発され、モモもカップに視線を。
立ち昇る湯気。
コーヒーの香ばしさの中に砂糖の甘味を嗅ぎ付け、脳が甘みを欲する。
唇をカップに。触れた液体は、飲むに適した温度。
ほんの僅か、唇とカップの隙間を通り抜けた苦味と甘味。後戻り出来ない。
モモは3度続けて喉を鳴らし、脳が甘味を認識したタイミングで、小さな息を吐いた。

「頭使ってる時に飲む甘いコーヒーって最高よね。私普段はブラックなんだけど、考え事したりすると、あまーいのが飲みたくなるのよね」
「私もです」

うっかり零した言葉。
瞳の目元が笑う。
聞こえてしまった。消去不可能。
自分の行為を悔いながら、モモは奥歯を噛み、薄っすら笑ったままの瞳を睨み付けた。

「怖いんだけど……私、何かした?」

うっかり答えたのは、貴方自身の責任。
遠回しにそう言われた気がして、モモは苛立ちを前面に押し出した。

「何かしたもなにも、そもそもの始まりは貴方ですよね!」
「そう! そうなの、私なの!」

頬を両手で包み、大きな笑みを浮かべる瞳。
その表情が表すのは歓喜。
私は怒っているのに。
モモは改めて背筋に怖気を感じた。
この人に、自分の常識は通じない。
異常。
この人の思考を理解するなんて、無理。

「何なの……貴方ホントに、何なの?」
「そうね、そうね、謎解きの続きをしましょう。そしたら私が何なのかわかるわ!」

声のトーンが変わった。
まるで幼児を褒める母親。
大げさで腹が立つ。
モモはコーヒーを一気に飲み干し、立ち上がって瞳の前に。
盆の上にマグカップを置き、瞳を見下ろす。

「ごちそう様でした。さっさと始めましょう」
「随分と反抗的な態度ね。落ち着きなさいよ、ちゃんと話してあげるから」

瞳は顎で日記帳を示し、モモの顔を見上げる。
モモはベッドの上に残してきた日記帳を瞳に渡し、自分はベッドの上に戻った。
日記帳を捲る瞳。
目元は緩んだまま。

「ダイアリーって書いてるけど、これって日記じゃないもんね。書きたい時に書いただけの愚痴って感じ……姉さんにもこんな時代があったのよね」
「それがお母さんのだって証拠は?」
「え?」
「それは本当に私のお母さんが書いたものなのかって聞いてるの!」
「信じないの? この写真も見たのに? 美雲愛子は子供を2人産みましたって、ちゃんと説明もしたのに?」

壁に画鋲留めされた紙を示した瞳。
顔に浮かぶのは、あからさまな疑問の表情。
それを消し、ゼロに戻した後、瞳はあきれをため息に混ぜた。
直後、滔々と音を流し始める。

「美雲愛子という点と、美雲、後の桃木みなみという点は、実の母子という線で結ばれています。娘・みなみは、母・愛子に対して不満を抱きながら生活していた。それは、このノートから読み取れたはずです。ヒントどころか答えを提示したのに、貴方は信じないの?」
「だってそれは、貴方がそう言っているだけで」
「じゃあ写真は? それも私が偽造した?」
「その可能性もありますよね?」
「そんな事してる暇ないの、私。これでも結構忙しい身なんだから……じゃあ何から説明すれば信じるのよ」
「初めから、あそこの事から教えて……私がいたあの場所です」
「ああ……そっち経由か。ほんっと、自分のルーツに興味無いのね……まあいっか」

瞳は日記帳を閉じ、モモに体の正面を向けて座り直した。
長い息を吐き、僅かに顔を歪めた後、トーンを落して言葉を並べ始める。

「あそこ、か……あの中にいた時は、ここ、だったのにね。やっぱり名前って必要なのね。今更だけど、ちょっと不便」

小さく失笑。残響が消える前に、瞳は言葉を繋ぐ。

「貴方をあそこに連れていったのには理由がある。主な理由は治療よ」
「治療?」
「そう。貴方に刺激を与えたかったの。無月経を解消する為に」
「やめてよ、その言い方」
「本当の事でしょ。他人に言われるとムカツク?」

瞳は組んだ脚を両腕で抱えた。

「だって……そんな目的の為に作った場所じゃないでしょ? あそこは監視機関だもん! 私の体と、何の関係も無い!」
「貴方って、ほんっとに人を信じやすいのね……あそこが監視機関だって、誰が貴方に教えたの?」
「え……アオ」
「アオがそう言ったから真実なの? アオが、ここはトランスペアレント クラウドだって言ったから? 一時期噂になった、謎の監視機関だって……だから信じたの?」

確かにアオはそう言った。
トランスペアレント クラウドはある。
そう信じていたから、そこに来られて嬉しいと思った。
しかし、何故その言葉を信じられたのかと問われれば、答えは簡単に出てこない。

「初対面の相手から聞かされた話を、いともすんなり受け入れる……そう出来たのは、どうしてかしらね?」

どうして。
運命を感じたから。
使命感を感じたから。

「トランスペアレント クラウド。あれはネットの住民と三流アイドルが作り上げた虚構に、物知り顔のタレントが名前をつけただけのものよ。実在するわけないじゃない。なのに貴方は、本当に存在してたんだって、そう思い込んだ。それは、何故かと聞いているの」
「噂になったトランスペアレント クラウドそのものだとは思ってない! そうじゃなくて……それと同様の監視機関って事!」
「それと同様って何? 噂でしかない監視機関の内部なんて、誰が知ってるの?」
「……それは」
「貴方はトランスペアレント クラウドがあると言う噂に興味を持ち、お父さんの部屋に入り浸って色々な情報を集めたのよね? 透明な無人偵察機が開発されている事も知ったし、多くの国は諜報機関を持っている事も知った。お父さんが言った通り、透明な雲なんか作らなくてもターゲットを監視出来る世の中だって理解していたのよね?」
「何で知ってるの?」
「ちょっと! さすがに腹立つわ……私は、貴方を、見ていたって言ったでしょ。知ってるに決まってるじゃない、そのくらい。それに、貴方があそこの事から教えてって言ったのよ。途中で他の話題に疑問を投げないで」

瞳はマグカップを持ち上げ、勢い良く口元に傾けた。
苛立ちをはっきり表現して見せたのは、初めてかもしれない。
体内にコーヒーを流し込む瞳。喉を2度上下させてため息。
2度首を横に振った後、言葉を再開。

「貴方は自分が集めた情報と、ネットの片隅に残り続けたトランスペアレント クラウドの噂を調合して、貴方自身が理想とするトランスペアレント クラウド、つまり非合法な監視機関を作り上げた。貴方の頭の中にね。そして脳は、記憶の書き換えをしたの。あたかも既に存在している機関があるかのように。きっと罪悪感があったのよ、理想とするモノは、犯罪組織だからね。だけど、それだけあなたは夢中だった。だから私は、それを具現化した」
「え?」
「自分のパソコンは安全だと思ってた? 誰にもハッキングされないって……貴方が自分のパソコンに保存したトランスペアレント クラウド構想。内容は全て読ませて頂きました。貴方の構想に私の理想を加えて作り上げたのが、あそこ。つまりあそこは、貴方と私の理想の城。城にしては地味かしら」

怖い。
モモは嘘偽りない感情を顔に表した。
それを受け取った瞳。


持ち上がった左右の口角
覗く白い歯
漏れる笑い声
口元は言葉を生む


「可愛い……!」

瞳の顔。半分泣き顔。半分笑顔。
そこには怒りも攻撃性も浮かんでいない。
それなのに、感じるのは恐怖のみ。

「貴方は、誰なの?」
「それ何回目? でも教えてあげる。私は大蜘蛛瞳。35歳、独身。准看護師の資格を持ったプログラマー。貴方の母親です! 今更だけど、よろしくね」

涙。
瞳がハイテンションな自己紹介を終える前に、モモの視界は涙で滲んだ。


怖い
怖い
真実を知るのが
怖い
後戻りするのは
もっと怖い
目の前の存在は
堪らなく怖い


「何? 泣いてるの? もしかして感動してる? 本当の母親に会えて感動してる? では続けましょう。私達が、もっと仲良くなる為の、真実の話よ」


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