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ひのき舞台は探偵と一緒に:4.楽屋移動#3
「おっじゃまっしまぁーーす。どーもどーもォ」
スライドした引き戸。予想通り、作業ルーペ+作務衣姿の紡が現れる。何故か敬礼を見せると、紡は彩菜の許可もとらずに部屋に上がり込んだ。
「彩菜ちゃん、大丈夫? ちょっとお肌が老けた感じするけど」
「バタバタして水も飲んでないんで乾きましたかね、って何しにきたんですか?」
「なにかお手伝いすることないかなーって……え?! コレ、どうしたの?」
カラカラとした笑顔を見せていた紡は、突然驚愕の声を上げた。その視線の先には、箪笥。
「私のタンスですけど」
「自分で買ったの?」
「違いますよ。上京する時に実家から持ってきたんです」
「彩菜ちゃんちって資産家?」
「まさか。ごく普通の家だと思いますけど。タンスがどうかしたんですか?」
素直な疑問を投げた彩菜。受け取った紡は箪笥に視線を射したまま。
「これ岩谷堂(いわやどう)だよ。岩谷堂箪笥。しかも木地呂塗り(きじろぬり)。職人が少なくて希少価値が高いんだから! 専門店で買ったら八十、九十万くらいかな。百万いくかも」
「えっ! ウソ……」
彩菜の【人生ビックリ度ランキング】があるのなら、確実に上位に食い込むビックリ度。底辺生活を送っていた自分が、そんな高級箪笥と寝食をともにしていたなんて。
箪笥の幅は彩菜が軽く両腕を広げた程度。高さは胸の辺り。四段式で、一番上の段は引き出しが三つに分かれている。言われてみれば、凝った作りだし、角や取っ手の周りは紋様の彫られた金具で飾られているし、見れば見るほど高価な物に見えてくる。桜から「年よりくせぇ」と言われ続けた箪笥なのに。
「これは、ご両親から?」
「祖父母からです。これに収まる程度の持ち物があれば、生きて行けるからって」
「え?」
「余計な物は持つなってことだと思います」
「へえ……なんか粋だね。それに、結構な目利きと見た」
何故か満足そうに口元に笑みを寄せ、紡は作業ルーペを外して箪笥に近づいた。鼻先がぶつかるくらいの位置で全体を観察し、取っ手に手をかける。
「ああっっ! 開けるのはナシで!!」
「あ、ごっめーん! つい夢中になっちゃって……ではまた後日改めてっ」
「改めなくてもいいです。ってホントに何でしょーか? しかも彩菜ちゃんって……」
「だーかーらあ、お・て・つ・だ・いに来たの。彩菜ちゃんのっ」
言い終えて、紡は部屋中に視線を走らせ始めた。呼び方について弁明する気はないらしい。
彩菜の周囲をヒョコヒョコと動き回る紡。長身で猫背。作務衣からはみ出した手首と足首は細く色白で頼りない。力作業には向かないように見える。今日も髪の毛はボサボサ。無精髭は昨日よりも伸びている。目元の表情は見えないが、全身から放たれる気配は楽しそうだ。
彩菜は隠さずに大きなため息を吐き、首を回しながら口を開いた。
「あのー、今日は何もする気が湧かないんで、何かあったらこっちから声かけますから」
「そう? じゃあ、ご飯行こう。なかなか下りてこないから遠慮してるのかなーって。今夜、素麺だよ。流れてないけどね」
「流れてないのが普通です」
「流れてないけどトッピングが豊富。あと唐揚げとアジフライもあるよ」
「サッパリしたいのかこってりしたいのかわかんないんですけど!?」
若干の苛立ちと疑問を表現した彩菜。紡はフフフと笑いながら、クルリと身を翻した。そしてステップを踏むように出入り口まで進む。
「ほーら、行こうよ。伸びちゃうよ、素麺」
彩菜は、聞こえないふりをした。紡のペースに巻き込まれた気がして何だか悔しい。ついて行ったら負け。
(やっぱりもう寝よう。寝てしまえばこっちの勝ち!)
よくわからない勝負を挑もうとしたが、彩菜の胃袋は素直に悲鳴を上げる。
「ほらあ! 体は正直でしょう? オナカスイター、って言ってるじゃん」
「グーって言っただけです。勝手に翻訳しないで下さい」
ボソリと呟いた彩菜に、紡は手招きを見せる。汗ばんだTシャツの匂いを気にしながら、彩菜は出入り口に向かった。