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捨て犬男とノラ猫女:Dec.3

《戻りました》

篠田に向かって歩いてくる三原の姿が見えた。三原は客の前に立つと、深く頭を下げ、丁寧に客を遊技台の前に誘導。

三原は客に着席を促し、自身は立膝をつくような姿勢となった。客を見下ろさないようにとの配慮なのだろう。客よりも低い目線で話を聞く。三原が何度か頷きを見せた後、客は遊技台に向き直り、遊戯を再開した。

賢太はランプ対応をしながら、事がどう運ぶのか気にかけていた。他のアルバイトの面々も同様。篠田はコースを離れ、缶コーヒーを手に戻ってきた。おそらく【お詫び】として店側から提供したのだろう。客は受け取ったコーヒーを飲みながら遊戯を続ける。三原は台を様子を眺めている。

《篠田、戻ります。ありがとうございました》

言った篠田と目が合って、賢太はやっと表情を緩める事ができた。

三原が客に一礼して場を離れると同時に、井上がフロアに戻って来た。接客用の、ニコニコとした表情で。賢太は一言でも文句をぶつけてやりたくて、足を動かした。

《大丈夫だよ》

篠田の声。賢太は足を止め、篠田を探した。壁一面の大きな鏡の中で、篠田と目が合う。篠田は賢太に向かって笑っていた。そしてすぐに、別の声が耳に触れた。

《あのー、私うっかりインカム付けてコンビニ行ったことあるんですけど、これって外でもバッチリ声聞こえますよね? 社員用は別なんですかね? 今度試しに貸してもらおうと思いました。以上です》

大野だ。アルバイトは全員含み笑いをしている。本来注意しなければならない立場の三原も、笑いを堪えている様子だった。

井上は、自分が言われていると気づいているはずなのに、何も聞こえていないといった様子で巡回をしている。三原はニコニコしながら井上をコースの端に呼び、隣に立ってインカムのマイクを口に寄せた。

《本当ならお前がやる事だから。社員じゃなくても対応できる超簡単なトラブルでした。台開ける自信ないなら篠田君に教えてもらいながら対応すれば良かったんじゃない? では僕はもう一回向こうに行って来ます。あっちのトラブルは社員対応じゃないといけないので。アルバイトの皆さん、フォローありがとうございます。残り時間あと少しですが、よろしくお願いします。あ、大野さんはインカムで遊ばないように。以上です》

井上以外は、三原のインカムに了解しました応答。井上は何も言えず、表情を曇らせて巡回を再開した。篠田も含め、誰の顔も見ないようにしていると、賢太は感じた。その姿を見て、ざまあみろとは思わなかったが、篠田に謝罪して欲しいと、強く願った。

終礼が終わり、篠田と一緒にロッカールームに行くと、三原が踊り場でタバコを吸っていた。

「お疲れさん」

先に口を開いた三原に、篠田は、まいったよといった表情を見せ、タバコに火をつけた。

「やっぱ年とってるとバイトとは思われないのかね」

あーあと零しながら篠田は煙を吐く。

「あの客、うち来たの初めてじゃないかな。常連は蝶ネクタイの色で判断するからね。まあ、気にしない気にしない」

若干おどけ気味に、三原は篠田の肩を叩いた。シャープでとっつきにくい面立ちだが、三原は案外人懐っこい笑い方をする。

「一条君、なかなかいいインカムの使い方だったよ。成長したねえ」

急に笑顔を向けられて、賢太は思わず頭を下げてしまった。

「あ、いや……正直、腹が立ったというか、それはないだろうって」
「確かにね……あれは申し訳なかった」

三原はタバコを灰皿に落とし入れ、壁にもたれて立った。

「井上は、入りたくてうちに入ったヤツなんだけど、何て言うか、理想が高いって言えばいいのかな。燃え過ぎてる感じ……社員になれたって事に誇りを持ってるんだよね。だから自分よりもアルバイトが仕事ができるっていうのを認めたくないんだな、アイツは……うん、悪いヤツではないけど使いにくい。精一杯頑張りますって希望に満ちて入ってきた人間のほうが、一旦やる気失うと、あっという間に辞めたりするんだよなあ……その点君達は安心だね。いつまでだっていてくれて構わないから。何なら社員になってもいいよ。俺が推薦する。篠田さんは明日にでもどうぞ」

篠田は煙を吐き出して笑う。賢太は答えに困ると思いながら、少し頬を持ち上げるに留まった。

三原の言葉に棘はなく、むしろ温かさを感じた。篠田が言っていたように、自分は本当に三原に気に入られたのかもしれない。

――悪くはない、な

三原は寒いと言ってロッカールームへ。篠田のタバコが消えるの待って、賢太もロッカールームに入った。

着替えながら、三原は、明日は休みだと機嫌が良さそうに話し始めた。クリスマスに仕事が入っているから、代わりに明日、彼女とディナーに行くのだとか。

「そういえば、一条君は彼女とかいないの?」

とか、とは何だ。と思いつつ、賢太は首を横に振った。

「そうなんだ。うちは表向き社内恋愛禁止だけど自由にどうぞ。小柳とかどう? 一条君大人しいから、小柳と足して割ったらちょうど良さそうだけど」
「あ、いや……」
「好みじゃないか」
「あ、えっと、小柳さんは素敵だと思います……」
「なるほど、つまり好きな人がいるという事だね」

美弥子の顔が頭に浮かぶ。何と答えたら良いのか。否、答える義務などない。賢太は黙ってスラックスを脱ぎ、ジーンズに足を突っ込む。

「一条君は恋愛でも苦労しそうだね……うまく行ったら呑みに行こう。祝杯を挙げないと」

賢太が聞かぬふりを通していると、それが可笑しかったのか篠田が声を上げて笑い始めた。三原はすっと篠田に近づき、わざとらしく咳ばらいをした。

「えーっと、篠田さんは大野を捕まえておくように。あ、女子ロッカー、誰もいませんよねー? まあ、聞いても誰も何も言わないと思うけど」

意外だ。賢太は素直にそう思った。三原が、こんな【普通の話】をするなんて。もっとビジネスライクな付き合いをする男だと思っていた。

「ねえねえ篠田さん、大野は年末年始実家に帰らないみたいだけど」
「そうみたいだね……」
「みたいだね?」
「……大みそかの遅番終わったら、一緒に初詣に行く、という予定で。ここだけの話」
「おおっ、それはそれは……チーフには黙っておく」

篠田の告白に、賢太は驚きを隠さなかった。ホントに? いつの間に? と問い質したかったがやめた。篠田は照れながらも嬉しそうで、三原もとても良い笑顔だったから。


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