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まつりのあと:8_④

 アルバムを元の位置へ戻し、段ボール箱を求めて一階へ。結局、家の中に使われていない段ボール箱はなく、私は隣家の呼び鈴を鳴らした。事情はそれなりにごまかし、五つの段ボール箱を譲って貰った。これでは足りないと理解できたけれど、礼を述べ、道場に戻る。

 作業を続けていると、出入り口を叩く音がした。

「これ、よがったら使って。古いけどさ」

 隣家の、お向かいさんだった。ありがたく頂戴し、礼を述べる。何があったのかは問われなかった。怪我しねえようにな、と小さく微笑んで、帰って行った。ただならぬ状況であると察したのだろう。これが大人の対応だ。今は、非常にありがたい。

 近隣の厚意を受け、全ての窓に処置を施し終えた。加島の言葉は本当だ。


絶対他人に生かされてるんだ、か

 石原がそれを言ってくれていなかったら、私は涙を堪えていたかもしれない。あの言葉に救われたという石原の前だから、素直に泣けたのだと思う。


スッキリした……よね

 ガムテープに剥がれがないのを確認した後、父の防具の前に立った。思い切り殴ってしまったけれど、損傷はないようだ。良かった。

 竹刀には、ガラスの破片が挟まっていた。これは専門の業者に任せなければならない。検索しないと。

 謝罪の気持ちも込めて、父の防具を磨く。面を外して内側を覗き見ると、額が当たる場所に、ガムテープが貼りついていた。端が少し剥がれて、ビニールのような物がはみ出している。父はここにも、秘密を隠しているのだろうか。


見てもいい、よね……
見るよ

 ゆっくりと、ガムテープを剥がす。小さなビニール袋に入った五円玉が三枚。袋には紙切れも一緒に入っていた。【道場完成おめでとう! 三人より】。兄の字。道場の屋根から撒かれた餅と一緒に拾った五円玉。こんなカタチで再会するなんて。

「は……何コレ、ぜんっぜん覚えてないし……何、六文銭のつもり?」

 笑って、目元を拭って、私は五円玉とガムテープを元に戻した。面の裏に五円玉を貼り付けている父の姿を想像して、もっと笑った。あの父が、どんな顔で、どんな思いで、こんな真似をしたのか。可笑しくて仕方がない。面を被ったら、父の気持ちがわかるかもしれない。

 初めて面をつけた。重いし痛い。手拭いが必要な理由がわかった。割れていない窓ガラスに、自分の姿を映してみる。笑いと一緒に、涙も零れてしまった。けれど、嫌だとは思わなかった。

 面を元に戻し、整えて一礼を。出入り口に向かう。外に出る前に用具入れを開け、名入り手拭いを一枚、取り出した。

私の五円と交換ね

 灯りを消して施錠。さあ、酔っぱらいの棟梁に頭を下げに行こう。徒歩でママの店に行くのなら、上着を羽織らなければ。

 駆け足で自分の部屋へ。クローゼットからグレーのダッフルコートを取り出す。まだこれの季節ではないけれど、誰かとすれ違うわけでもないし、深夜は冷え込むだろう。腕を通し、鏡の前に立つ。似合わなくはない。


ありがとね
とっといてくれて

 出かける前に、父に手を合わせた。飲みに行けないのが悔しいかもしれないと思って、焼酎のお湯割りを茶の代わりに仏壇に供える。

「行ってきます」

 久しぶりの発音。念のため傘を持ち、外へ。

 夜風は容赦なく、私の頬を冷やして去る。歩行速度を上げる。国道には、微かな振動も感じない。思わずエンジン音を探してしまうほどの静。けれど落ち着く。一晩中誰かの気配が溢れる街よりずっと、居心地が良い。

……なんてな

 東京での現実を思った瞬間、ポケットの中のスマートフォンが震えた。人も車もいない交差点。進行方向は赤。足を止める。送り主は、石原。

今日はありがとうございました!
掃除、終わりました?
ガラスで怪我してませんか?
こっちは帰る途中でメシ食ってます!
晴菜さんもちゃんと食べて下さいよ!
今度、地元の銘菓と酒を送りますね!!

 文字なのに、石原の声で脳に入り込む。顔が緩んだと感じた。意識して引き締め、返信。

こちらこそ、ありがとうございました。
ご迷惑をおかけして申し訳ないです。
怪我はしていません。
気にかけて下さって、ありがとうございます。
お詫びと言ってはなんですが、
次回こちらにいらした時、
素敵なママのいる店にご招待しますね。
朝まで飲む覚悟でいらして下さい。
帰り道、運転お気をつけて

 大した内容でもないのに、指が震えた。石原の顔がちらついて、腹の奥のほうが締め付けられる感じがした。体がそんな反応を示す時、自分がどんな感情を抱いているのか、知っている。

 さっきまで冷えていると感じていた手が熱い。スマートフォンの熱のせいか、それとも私自身が熱を帯びてしまっているのか、わからなかった。考えるのをやめ、スマートフォンをポケットに戻す寸前、再びの震え。

ありがとうございます!
良かったです怪我がなくて。
もしかして今夜もその店ですか?
飲み過ぎ注意です!
と言っても無理ですよね。
ノンベエにとっては祭りの後が本番みたいなものですから!
明日の運転に支障が出ない程度に楽しんで下さいね!

 祭りの後が本番。まさにそう。良いことを言ってくれる。

 私は歩き出した。熱くなった体を、気持ちを、前に進める。とっくに終わっているはずの祭りの音が、体の中から聞こえる気がした。

 散々心が盛り上がった後は、寂しい。楽しい時間を過ごせば過ごすほど、寂しい。


父さんも、そうだった?

 そこにいるはずはないのに、夜空を見上げる。父は寂しげな姿を見せたくなくて、そんな自分を感じたくなくて、いつも誰かに囲まれていたのかもしれない。自分を偽ってでも、他者の温度に囲まれるようにしていたのかもしれない。母の言葉は、きっと正しい。父は、どうしようもないほど、小心者だったのだ。

「最大の秘密バレちゃったよ……誰にも言わないから安心して」

 走った。寂しさに追いつかれないよう、ママの店までまっしぐらに。

 早くあの賑やかさに身を投じなければ。早くあの温かさに触れなければ。しみったれた顔で飲む酒は不味い。到着するまでに、涙を吹き飛ばさないと。


今夜は父さんの話題で盛り上げるからね
ウケそうなら多少盛るよ
いいよね?
絶対楽しい酒にするから

 誰かの姿を見て、そうなりたいと願う。嫌いだったはずの宴の光景が、私の中に、楽しいものとして刷り込まれてる。

ねえ父さん
いつの間にか伝承されちゃってるよ
物凄く迷惑!

 走りながら闇に声を。何と言っているのか自分でもわからない。けれどきっとこれは、感謝の気持ち。大きく、激しく、夜に叫ぶ。


こんな夜は二度とない
最初で最後
父さん
貴方へ思いのたけを叫ぶ夜は今日だけ
だから
ちゃんと聞いて

ありがとう
とりあえず、もう少しだけ
私達を見ていて下さい


【 まつりのあと - 終 】

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